谷山浩子 とか
今日は六角がいないので、茶屋の稽古は休みにして、劇団えぐざいる の方に行くことにした。
ちなみに、えぐざいるには、犬、トシ、ケンタが出向している。
揃いのカッチョいい、ジャージを、えぐざいるさん から頂、頂いて(私も頂きました、ありがとうございました。特製のデザインが、素晴らしすぎます)
扉座からの出向ではなく、えぐざいる関係者のような顔をしている。
まあたまに、人気者気分を味わうことも、よかろうよ。
ただ、キャストが圧倒的に男子ばかりで、ほぼ工業高校演劇部のような風情だ。
本番に向けて男たちが汗だくで、ガンガンやっている。
基本闘いの話だし。
せっかく、カッコつけても、男同士でたたえ合うしかない、出向者たちであった。
ところで、今日六角がいないのは昨日と本日、新宿でライブのステージに出演しているからなのだった。
それが、フォークシンガー・谷山浩子さんのライブ。
私らの世代の人は知ってるだろう。
ピアノの弾き語りの、アーティストだ。
ピアノ弾き語りと言えば、尾崎亜美監督が、我らのなかでは第一人者である。
しかし、谷山浩子 と聞いては、黙っておられぬ。
そもそも『ながら』で、ピアノの弾き語りをしている女子高校生という、そのモデルになった、人物が、弾き語りで歌っていたのが、
実は、谷山浩子であったのだ。
カントリーガール なんかをよく歌っていた。
そもそも女子の少なかった、そのころの厚木高校で、ピアノ弾きつつ、美しく歌う女子なんて、奇跡のような存在である。
正直、そんな美人なワケではなかったと記憶するけど、大人びた雰囲気があって、男子たちの心を、甘酸っぱくする女子であったことよ。
だって歌詞で、好きだよ〜 とかあって、それを可愛くキモチ持ち込めて、歌っちゃうんだから。
私はクラスが三年生の時、同じになり友だちだった。
出来たばかりの厚木市文化会館に、渡辺真知子(かもめが飛んだ)がコンサートしに来ることになって、一緒にいかない?と誘われたこともある。
お金がなかったから、辞退したけど。
ちょっとドキマギしたのが、半分の本音だった。
今思えば、親の背広からお金を抜いても、行っておけば良かった。
当時、私はマフラー事件という、
『私戯曲・ホテルカリフォルニア 厚木高校物語』
に出てくる、とある女子との葛藤を抱えており、
誰よりもマセていたピアノの彼女は、そのマフラーちゃんと私の間に出来た溝を必死に埋める、調整役などもやってくれていたのだった。
人々の恋がすべて上手くいって欲しい
そう心から願っているんじゃないかと、思えるような女の子だった。
そして、自分はいつも適わぬ思いにさいなまれている、そんな感じの子でもあった。
だから、私は歌うの。
そんなことは言ってなかったけど、五十の三文芝居書きが、うーんと要約して書くと、そういうことになりそうだ。
私を誘ってくれたのも、恋の話をしたかったからなのかもしれない。
その時の私には、きっと、ロクなことが言えなかっただろうけど。
そんな彼女は、しかし20代でこの世を去る。
その後、良い大学にも進んでいたのに。
自殺ではなかったらしいけど。
繊細な心が少しずつ、壊れていっているらしい、みたいなことは仲間から漏れ聞いていた。
『ながら』にある学生運動なんかしてたわけではなく、それはまた別のモデルがいるんだけど、
きっと、青春の出口を見つけられなかった、一人である。
青春の森の中に、必要以上にふかーくふかーく、入り込んでいったのであろう。
あの時、歌っていた姿を思い出しては、今も胸が切なくなる。
今の私なら、彼女に少しは何か言ってあげられるだろうか。
もっとピアノを弾け、もっと歌え。
プロになるとかそう言うことでもなく、弾いて歌いなさい。
その音楽とともに、さらにさらに森の中に深く入り込めば、その向こうに、思いもよらぬ出口はあったかもしれない、と思うのだけど。
オレ今、谷山浩子聞いたら、泣くな。
にしても六角精児がともに歌うのはどーよ。
人の思い出のなかに、不用意に登場してくんじゃねーよ。
とくに、
カントリーガール は、参加しないでいいからな。
特に 好きだよ〜 のとこは頼むから視界から消えてくれ。