影武者・独眼龍

 私は『天下茶屋』に没頭する日々に突入しているけど、もう一方で

 劇団EXILE公演の稽古も進行している。
 私が台本を書いた。

 伊達政宗である。
 かなり無茶なスケジュールで、無謀な受注ではあった。
 
 ただ一昨年の秋に大阪松竹座でやった『前田慶次』からの流れがあって、ちょっと離れがたかったのだね。
 愛之助さんと銀ちゃんが出るというし。
 有森也実さんとも久しぶりに出来るし、
 ともかく自分のなかで、シリーズ展開みたいな気分もあり。

 マキダイとか、ケイジとか、クールな人たちとも出会いたかったし。
 ま、それでクールに同化するわけでなく、ああ、これがクールだなと、感心したりするだけなんだが
 スマップとか、V6とか、そういう異次元の人気者たちと芝居作りしてきたことは、確実に今に繋がる財産になってるしな。
 五十にして、こういう扉がまた新たに開かれることは目出度いじゃないか。
   
 とアレコレ言い訳しつつ、

 で結局、その時は軽く出来るような気分にもなって、ドーンと引き受けて

 7月はじめからここまてでの間に、2本書くということになってしまった。
 しかも『ながら』とか『ドリーム×3』とかも同時に進めつつ。

 死ぬかと思い、何でこんな無茶なこと引き受けてんだと、まじに泣いた夜もあった。
 今となっては、ホラ出来たじゃないかと、威張るんだけどな。

 しかしそれで粗製乱造になっては意味がないんである。
 かなり欲張りな話だとは思うが、どっちも成功してくれなきゃ困る。
 それも大成功が欲しい。

 そんな思いで、昨日は、独眼龍の稽古に行ったわけだが
 稽古開始の2週間前から、若手を集めたプレ稽古に混じってスタートしていたマキダイ氏の、ここの数日の進化目覚ましく、
 とても期待が持てると、感じられた。

 天下の大スターに向かって、実に偉そうだけど、彼の芝居は観たことなかったので
 セリフを書きつつも、実は見当がついてなかったのだ。
 どんな姿で立ち、どんな声が聞こえてくるのか。

 昨日の稽古ではその輪郭がくっきりと見え、芝居全体がダイナミックに動き始めていた。

 多くのファンに待たれている公演で、劇場に漲る気がすごく、それだけで大きなアドバンテージである。
 観客がすでに主役や主なる俳優たちを知ってて、愛している。
 これは尊いことだよね。
 扉座ではなかなかそうはいかない。常にそこはギリギリの闘いだ。

 ただ、だからといって
 そこに甘えるのは、虚しいのである。
 ファンが、劇場に来て、いつも応援する彼らの元気な姿を見て、確認だけして帰って行くんじゃワシらは悲しい。
 イベントじゃないんだから。
 
 ちゃんとお芝居をお見せして、なにがしかの思いなど伝えたいじゃないか。
 そして、コンサートもいいが、エンゲキもいいなあ、と思って貰いたいだろ。 

 この公演はそこんとこ、胸張っていける。
 と確信できた。
  
 気分良く稽古場を後にした私であった。

 『天下茶屋』をあげてから、未だに、深い眠りが持てずにいる。
 なんちゅうか、脳のなかに微熱が残って、まだエンジンがブスブスと回っている感じ。未だに、夢のなかでセリフを語っているし。

 で早朝に目覚めてしまい。夕方ぐらいに、すっげー眠くなる。それは老化しただけかもしれんが。

 ただ、ずっと興奮状態である。
 カラダはぐったり疲れているけど、脳と神経が休まってなくて、ピリピリしている。

 これ以上は、危険だな。こうして人は、狂ったり、イカンことに手を染めたりしてしまうんだな、と思う瞬間が、この三カ月の間に何度かあった。

 それが中和され、私がとりあえず病まずにいられたのは、間違いなく『幕末ガール』とか『ながら』の稽古場や劇場で仲間たちと話したり、厚木で子供たちとふれ合った、お陰である。
 
 小説やコミックではなく劇作をしていることで救われているなあと思う。
 深く長い孤独の後に、祭りが来る。
 それが私にとっての芝居作りだナ。
 
 その闇と光との振幅具合は、白紙の状態の劇作からやっている者だけの醍醐味かもしれん。

 『天下茶屋』も負けない傑作にする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 


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