2012年の大晦日、カウントダウン
春先ぐらいに、今年の予定を眺めた時に
夏から、10月までが、死の峠になるだろうと予感した。
その勘は半ば当たり
痔 を得て、ヘロヘロとなり、今ここに至る。
死 ではないのが、
大きな幸いであるとせねばならぬ、のだろう。
明日、まったくドン被りだった、秋のふたつの舞台
『影武者独眼竜』と『端敵☆天下茶屋』の東京公演が、千秋楽を迎える。
ご観劇下さった皆様、ありがとうございました。
今日と明日、残り少ないですが、どうか、温かいご声援をお願い致します。
天下茶屋 はこのあと、来週金曜日と、土曜日に
北九州市黒崎ひびしんホールで、3回公演して、終わる。
よくぞここまで辿り着いた、と自分を誉めたいが、いつも辿り着いた時には、
そんな余裕なく、はや次の予定が襲いかかって来ている。
すでにアタマの半分は、それらで埋まり、
また、心、此処にあらずの感じになっている。
それらはみな、来年の舞台や行事。
気が早いことこのうえないけど、私の中では、あと一週間で、今年は終わりの感じ。
アタマの中では、ジングルベルが聞こえ始めていて、正月の支度を考えている。
哀しき、エンゲキ生活である。
そして、
唯一、ホッと出来るのは、今は、ザ高円寺の客席の暗闇の中。
お客さんに紛れてと言うか、最後尾に、座って、何となく見ているのだけど、
もう、細かくダメ出しする必要なくと言うか、
むしろ、俳優たちが、新たに試し始めたことなど、面白がって見ている時が、
無心になれている感じ。
かつては
中日ぐらいを過ぎると、草臥れ果てて、ちょっと客席に入る元気がない、みたいな感じになっていたが
最近は、そんなことはなく、ダラダラと、舞台を眺めているのが、楽しい。
たとえば、昨日は、ウケてたとこが、今日はウケない。
みたいなことは日常茶飯に起きて、その度、昔はドキッとしたりして、心が落ち着かぬこと極まりなかったが
最近は、そういうことも、慣れてしまい、
むしろ、笑いが起きないことで、見えてくるモノもあるなあと発見したり、
あ、そもそもそんなに面白くないんだね、このやりとりは。
と改めて理解して、今更ながら感心してみたり。
退屈しないのである。
そして
なんというか、今の扉座の中心メンバーを見て、私も感じて、多くのお客さんからも言われる
余裕とか、安心感とか。
もしかしたら、諦観ともいうべき。焦ってもしゃーない的な、図々しいベテラン力が漂っていて
お客さんにお見せすることに対して、変なドキドキをしなくなったのである。
聞けば、役者は今も緊張すると言うし、日によって出来不出来もあるみたいだけど
その緊張も、たぶん、どこかでキチンと解けてゆく、老人力が備わってきたのだろう。
カラダから力が抜けて舞台に立つ、って、やってみると分かるけど、ホントに難しい課題なんだよね。
でもムダな力が入ってちゃ、
やっぱり神経や感覚は、死ぬことの方が多いから。
力むとヒットが打てないのは、芝居も同じだ。
力任せで闇雲な、若者芝居も悪くないというか、私らもかつて、それしか出来なかったんだけど
この境地は、やっぱり長く続けてきたからこそ得たものだろう。
もちろんその分なくしているものも、たくさんあるわけで。
しかし、それが、生きてゆくと言うことだよね。
ロビーに立っていると、いろんな方にお会いして、中にはもう20年以上、我々を見続けてくれているという方もいる。
何だか、お花見とか、お盆のお墓参りみたいな感じでな。
ああ、また咲きましたね、みたいな。
もしくは早いモノで、31年ですよ、とか。
チケット売りつけておいて、そんな言い方もないと我ながら、思うけど。
でも、それも、長く続けてきたからこその、境地。
見渡せば、かつて群雄割拠して、シノギを削り合った、同世代小劇団たちはみな、看板を下ろし、
昔ながらの形態でやっているのは、数えるほどになってしまった。
今の問題は、この形態をどこまで続けるのか、いかにして、収束させるのか、
だと言っても良い具合。
高円寺あたりにある、昔ながらの古い喫茶店を見るたびに、
こういう店はいつまで、続くんだろうかと、我が身と照らし合わせて思う。
他人事に、
やっぱりこういう店が好きだよ、必要だよ。
というのは簡単だけど、
その持続の苦労もよく分かるからな。
ともあれ、今年も咲いてます。
東京では、今日と明日、残り3回。
よろしければ、フラリと覗きに来て下さい。