ヤバイと思う
レスリングが、五輪から外されるかもしれないんだそうな。
ローマ時代からやってきた、超古典種目だろう。
誰も、そんなものがオリンピックからなくなると思わない。
てか、ザ・オリンピック競技 だろう。
とタカを括っていたはず。
でも今の経済とか、数の論理とか、が深く関与する時、聖域なき、切り捨てジャッジが突然下されたりする。
やる人、見る人が減ってるんだろう。
見せ物、商売にならんのだろう。
何を思ったかというと
エンゲキも、ヤバクねえか、ということだ。
エンゲキは表現の原点だと思って、何が消えても、これだけは残る、とわしら思ってるけど。
そして実際、わしらはきっと、何があっても、やり続けるだろうけど
しかし大きく社会の流れでいえば
明らかにエンゲキへの注目度は下がっている。
多くの雑誌にあったはずの、エンゲキ情報ページとか、もはや壊滅状態でしょ。
文芸誌にはたいていあった、劇評ページも消え失せて久しい。
ま、文芸誌自体が、もはや風前の灯火であるが
公演はたくさんあるけど、やってる側の満足度に比して、観る側のそれは、どんかな具合なのか、
正直、危ういんじゃないかと思わずにいられぬと思う。
これは自戒の念を深く込めてね。
もっと社会に、市民生活に、エンゲキを届けていかなくてはけイカン。
観たことのない人を、劇場に引っ張り込んで、虜にしていかなきゃならん。
今、つかこうへい を必死にやってるから、ことさらに思うのである。
つかさんは、何をおいても、観客をエンゲキの渦に強く強く巻き込むことを信条にしていた。
分かるヤツだけ分かれば良い とか、スカした態度は一切ナシに、
さあみんな、分かれ、分からんかいボケ、と真っ向勝負していた。
思いの外、素朴な言葉でも語っている。
「アングラ全盛時にオレは思ってたよ、エンゲキはもっと楽しいものであるはずじゃないか」
と。
楽しいとは、単に笑わせることとかではなく、舞台の上の出来事に、客席が生き生きと共感することだろう。
人が人と繋がることに、期待を持ちにくい時代だ。
そこを疑うことが、今、多くの表現者のテーマになっている。
でも
人と人がつながる瞬間こそ、楽しいはずのことなんだ。
つかこうへいはそう叫んだのだと思う。
今、その境地を必死に追いかけている。
この舞台では
人と人がつながる瞬間を、ぜひ輝かせたい。
ささやかなるエンゲキ復興活動だ。
明日も稽古、稽古、稽古……