愛について
さて『幻冬舎プレゼンツ・つか版忠臣蔵』は劇場仕込みをやって
公演する小屋で稽古するという、贅沢な日々に突入するわけであるが
一方で今、私が挑んでいるのは 作詞である。
4月からの『げんない』のため。18曲近くに唄の文句を付けねばならぬ。
通勤の合間、朝と夜
ひたすら、楽曲を聴いて、読めぬ楽譜とにらみ合い
指を折りつつ文句を考える。
そう、俳句みたいに、指を折るのだ。
じゃないと、音符をすぐいい加減にする私は、都合良くそこだけ作曲してしまう。
数学的にやらんと、デタラメになってまうんや。
ちなみに私は、曲先推奨派です。
簡単な断片的な、仮詞だけ台本に書いて
メロディライン優先で、音楽作りをして下さいと、今回も深沢桂子先生にお願いしてる。
だってその方がぜったい良いと思うから。
セリフ的に書く詞なんて、理屈っぽくて、つまらぬことはなはだしい。
音楽家の感性に、必死でついていくぐらいにしないと、私の言葉は唄になんかならんと、謙虚に悟っているのである。
それはともかく、
そんなわけで
ここ数年、ミュージカル修行が連続し
そういうことやりつづけているんだが
問題は 愛である
特に青春期には
愛という言葉が出てくる唄がキライだった。
というか、歌は、たいてい愛だから、
心底唄って、下らねえ、とも思ってた。
ま、愛なんてなんなのか、何にも分かってなかったってのも、大きな原因だと思われるんだが。
でも、芝居はいかに、
愛とか言わないで、愛を描く勝負みたいなとこがあるだろ。
しかしな、いざ自分が作ってみるとな
そもそも、文字数って問題があるしな。
たった二文字で、ドーンと何かが言えちゃう、こんなに便利な言葉もないんだな。
便利なんて言ってる時点で、アカンと思うけど、
何せ、こっちは文字合わせの都合もあるから、背に腹はかえられぬ。
イカンイカンと思いつつ、つい
愛 に手が出てしまうんだね。
ある種のクスリのようだね。
同じように、希望とか、夢とか
短くて、都合の良い、言葉が幾つかあってな。
こっちもつい、手が出てしまう。
やめられない刺激物というか、たまちま気持ちよくなれる手軽なブツ。
気が付くと、愛や夢の大安売りだよ。あちこちに、その言葉が並んでる。
書いた翌日に気付いて、冷や汗かいて、書き直す日々だったりする。
そんなこんなで、最近は、唄の歌詞が気になってるんだが
専門家も、かなり安売りはしてる。
というか、そこをしっかり売ってる。
ただ、やっぱ、みんなここぞのとこで、ドーンと出してるよね。
なきゃ困るメインデッシュなんだうね。
演歌もロックも。
で、
どんな筋道で、そこに至るかを競ってるというか。腕の見せ所というか。
つまるとこ、愛 は避けられないんだね。
そういえばラブラブラブをやってて
オープニングは、かならずいろんな唄の
ラブの歌詞が、聞こえてくる編集の曲で
ラブ という歌詞だけ、聞き続けることになるんだけど
たった一言、手垢まみれの 言葉 のはずなのに。
いろんな音色、風合いがあるんだねえと、感心します。
で結局
わたしも 愛とか、書くんだけど
ま、一晩寝て、翌朝出勤時、冷静に歌詞をあてつつ、曲を聴いてみて、サムくなければ 愛でよし というか。
なんかラブレターみたいだけどな。
そんな感じの落ち着かぬ日々です。
あと、つか版の時、すみだパークで、つか関連や、扉座関連の、いろんな展示とかも
パークの新しくお洒落なギャラリーで開催する予定です。
詳細は追ってお知らせします。
芝居見に来たら、ぜひ立ち寄って、覗いてみて下さい。