4月4日はオカマの日っ
私たちが大好きだった、つかこうへいの芝居は、インテリジェンスに満ちた毒のある笑いとともに、
実にしょーもない、ギャグで溢れていた。
一時活動休止後の、復活後は、このしょーもな系のギャグが少なくなり、シリアス度が増していた。
つかさんは、時代と向き合う結果、変化球が投げにくくなったというようなコメントを出していたと記憶するが、初期のテイストを愛していた者には、ちょっと寂しいことだった。
特に若い頃、僕たちは、このしょーもなさこそを愛し、
教室で部活で、真似していた。
その、つかゴッコ こそが私の演劇の原点であると言って過言ではない。
かの田中邦衛さんも、つか芝居に出たことがあって、私はそれを高校時代に、観劇するという奇跡体験をしているのであるが
邦衛氏が、何かでつか作品の感想として、
クソ可笑しい、と表現していたのを覚えている。
この感じがピッタリ来る。本当に、クソ可笑しかった。
今日、4月4日はオカマの日!
というのも『いつも心に太陽を』で、ホモの水泳選手に扮した、平田満さんとか、長谷川康夫さんがビキニ海パン姿で、叫んでいた台詞である。
3月3日は女の子の、5月5日は男の子の節句。そのちょうど真ん中の4月4日は、真ん中の人たちの節句。というわけだ。
記憶ではこの舞台は、ゲイを蔑んでいると、
ゲイ方面からの猛反発を食らい。
つかこうへい対、七十年代~八十年代オネエ軍団、全面戦争のようなことになった。
週刊誌ネタになったり、して。
まだ、オカマという言葉が、新しめに響いた頃の話である。
今のようにテレビで、ゲイが公然と扱われることもなかった。
ゲイ文化など、日本には未成熟で、マイノリティというより、アウトサイダー的な扱いが一般的でもあった。ゲイなんて言葉は、ほぼ学術用語だった。
蔑まれてこそ、立派なオカマだろう、ちゃんと日蔭にいろ、とか、つかさんは一歩も退かず、公然と言い放っていたものだが。
今で言えば、ブログ大炎上といったところだろう。
ちなみに私は、ゲイを蔑み、差別する気は全くないのであしからず。
4月4日はオカマの日、というパルコ劇場に響いた絶叫と、客席の底が抜けるかと思うような、大爆笑が、ただただ懐かしいだけです。
実は、つかさんだって、そういう表の態度とは違い、周囲にはゲイの人々もいたし、すべてのマイノリティに対する、優しい視線と励ましこそが、つか文学の神髄なのであって
根底は、誰より差別を憎んでいるのであるが、
その核心に至る過程で使われるレトリックが、クソ可笑し過ぎるので、刺激が増す。
そしてそんな字面にばかり反応すると、妙なことになるのである。
でもそれは、つかさんの罠にハマったと同じである。
騒げば騒ぐほど、つかこうへいを宣伝することになってしまう。
そこんとこも、ちゃんと計算している人であった。
そもそも、つかこうへい という名前も、
世の中、いつか公平 にというメッセージなんだという説もあるんだからな。
この人の世界は、実に深淵なんだ。
それはともかく問題は、クソ可笑しさ、である。
しょーもないギャグの連射である。
つか版・忠臣蔵 ではこのクソ可笑しさを大事にしたいと思っている。
私たちが愛した、初期のテイストをキチンと表現したいと思っている。
今日4月4日に、改めて、心に刻む。
52才にして、たぶん30代だった頃の天才つかこうへいに対抗し、
負けず立派に、
しょーもないこと、たくさんやってやろう、
と。