大谷亮介 還暦祝い ひとり祭り
危うく遺作となりかけた、大谷亮介氏還暦祝いのひとり祭り『八戒法話』は無事に開いて、私も劇場に住む幽霊としてではなく、生きてる作家としてその初日を見届けた。
書いてるときから、本人から『渾身の舞台にします』とメールでメッセージを貰っていたが、その決意に違わぬ、気合い、仕上がり。
二本立てというより、実は過去の名作のプチ再演も含めて、三本やってるんだけど、2時間ぎっちり大谷亮介の世界。
大谷で、お腹一杯と製作者が宣伝してる、まさに満腹感。
高校の時から数えて、演劇生活も今や35年を超えて、もはや新作の初日だからと言って、そんなにドキドキすることもなくなってきたすれっからしであるが
それでも初日の客席に座ると、いろんなところが気になって、一部反省してみたり、心配になったり、ガッカリもしたり、見物になんか集中できないものである。
でも
この火曜日の初日は、膨大な台詞と段取りを、さすがの演劇仙人も忘れるんじゃないか、という懸念さえ、どこでやらかすか、そしてどう切り抜けるか、なにやら楽しみなものに思えてきて
とにかく楽しい時間が始まるぞと、開演前からワクワクし、現に始まってみると、
ミスとか、ど忘れとか、幾つかあっても、そんなものは本質に何の影響もなく
むしろ、その時々に不思議な趣が加わり
やがて我らの目の前でエナジーを使い切り憔悴しきってゆく姿、喘ぎつつ、水分補給する大谷氏の姿さえ、
ステキなものに見えて、ずっと見ていていたいような気分になった。
自分が作家であることからここまで解放されて自由になり、初日の舞台に見入って、楽しんだなんて経験は、はじめてである。
声に出して何度も笑ったし。
名人と言うにはまだまだ、過分に脂ぎっててギラギラだし、
鉄人と言うには、中身にダジャレとか、ホンマにしょーもないギャグとかがありすぎで、もっと軽快な感じだし
達人じゃ、ぜったいに軽すぎる。
これは、ある種の狂人を体感する、悦びなんだと思う。
北斎という江戸の絵描きがいて、九十過ぎまで絵を描き続けた人だけど
画狂人 という異名をとった。
この人は 劇狂人だ。そして芸能の世界に於いては、狂は、美であり、善である。
稽古の時から、原田氏のMJも、蓬莱氏の新作落語も、どれも見逃せぬ愛おしさで
コレは広く宣伝して、多くの人に見て貰いたいなあと思ったものの、その頃すでに前売り完売状態だったので、あんまり煽らないように切り替えた。
ぜったいにガラガラやねん、横内、宣伝してくれ。
ぜったいに赤字やねん、困るねん。
いれ以上、借金でけんねん。
困るねん。
コレが決まった昨年からずーっと言い続けていた劇狂人。
それでつい何杯もビール奢らされた。
オレは依頼受けてる側なのに。
でもそのキモチは我が身の痛みのように、よく分かる。
怖いものナシのこの人も、空席と赤字は心底、恐しいらしい。
で実際、何度も何度も痛い目あってきた。
でも今回は満員御礼。スズナリに人が溢れている、しかもかなり濃い演劇人たちの群れ。客席にいるキャストで大作映画撮れそうな感じ。
芝居者からリスペクトされている証である。
こんな還暦が迎えられたら幸せだな。
大変そうだけど……
この舞台チケット持ってて、見られる人は幸運だよ。
作家が言うのも不遜だけど、ホントに見られたの、良かったねえとお客に言える。
そういう舞台が、ごくたまにあるのである。
