高校演劇
今週末、高校演劇の審査員をやる。千葉の八千代で開かれる、関東大会その①。
その①というのは、その②が存在するからである。
私は都合で、その①だけ参加。今、関東大会は二度ある。
初めての審査員だ。
お誘いを受けたことはあったが、いずれも都合が付かなかった。
厚木高校演劇部時代、関東大会に出たのは、かれこれ37年前か。
なぜか静岡県、三島の地であった。
ボロボロの公会堂だった。畳敷きの楽屋には演歌歌手の破れたポスターが貼り付いてたりして。今は立派な文化会館があるらしいけど。
私たちはクジ引きによって最後の上演校だった。で、そのボロボロの会館のスピーカーが、思いがけぬ若者の演劇コンクールの酷使で、ついに悲鳴を上げ、よりによって我々の上演中にぶっ飛んで故障したのだった。
低音がまったく聞こえなくなり、高い音だけシャカシャカ鳴った。
もう終わりだ、これで落選だと、我々はパニクったものだけど、特に影響なく、いろいろ褒められ、全国大会に行けることになった。
まあ、長閑な時代だったのだね。
で我々は、実は大会のルールをよく知らず、その後の全国大会で上演規定時間を4分もオーバーしてしまい、失格扱いになってしまう。
気合いを入れすぎで、全国大会用の余計なシーンを付け足した結果だった。
つかこうへいのように、観る度に違うようにしきゃイカンと、横内少年・17歳は思っていたのである。
制限時間なんて、まったく考えてなかった。
のんきな田舎の高校演劇部だった。
関東大会が生まれて、50年の節目なんだそうな。
その当時お世話になった、高校演劇の先生方もずいぶん、ご年配になられている。
劇団を始めてからは、生徒さんたちを連れてきてくれたりして、応援して下さった先生方もおおぜい。
この節目に、ぜひ来てくれよ、とメッセージを頂いた。
実に有り難い、お誘い。
実際、高校演劇がなかったら、今こうして芝居なんか、やっちゃいなかった。
演劇部がずっと続いちゃったような劇団である。
いよいよ数日後に迫って、なんかいろんな思いが溢れてきた。
懐かしがるだけじゃなく、ちゃんと役目を果たさなきゃなんだけど
大会の中にいるだけで泣いてしまいそうだ。
金曜日の夕方に、ちょっと講演みたいなことさせて頂いて
土曜と日曜のコンクール。