成熟
扉座HPが リニューアルされました。
スマホからも、見やすくなっているはず。
八月は、ここ数年、厚木と横浜通いです。厚木は 小4~中二の子供たちの演劇塾。あつぎ舞台アカデミーの公演『ドリームドリームドリーム』横浜は 高校生からの マグカルパフォーミングアカデミーの公演『バイトショウ』
同じタイトルだけど、中身は常に書き換え、進化させて上演している。
驚くのは、子供たち、若者たちの成長である。私には子供がないから、ことさら感じる。
今、横浜には、厚木のアカデミー出身だと言う子たちが、少なからずいる。
ゼロ期から、マグカルメンバーとなって、今やチームの屋台骨になっている、加藤萌明は、厚木での初期メンバーで、第一回目の『ドリーム×3』に出演していた。そのドリームは今回で、9回目。
横浜でのキャリアも、5年である。
会った時は、ちゃんと子供だったのが、今は立派な女優となって、NHKのEテレでレギュラーを持ったり、昨年の扉座公演『リボンの騎士』では、大きな役を演じた。
このリボンで、萌朝の親友役だったのが、六月の扉座公演『百鬼丸』で、百鬼丸の声を演じた、吉田美佳子。彼女も、15歳の時、ゼロ期から横浜のマグカルに通って、歌とダンスと演技のレッスンを重ねて来た。
同じく、マグカル0期からやっている、柴田瑠歌と横田詩織も、今、声楽科の音大生で、本気でミュージカル女優を目指している。ふたりと萌明の3人で、『バイトショウ』の主軸となる若い女の子トリオを演じている。
紹介しきれないけど、その後を追う者たちが、次から次へと。厚木や横浜にやって来ては、目を見張る進化を遂げてゆく。それを見守り、確かめるのが、近年、私の八月である。
奇しくも今日は終戦記念日。こんなこと、楽しくやっていられるのも、長く続いた平和のおかげである。
こんなふうに子供や若者たちと接していて、驚くのは、私が10歳とかの頃って、昭和46年なんて頃なんだけど、戦後20年、なんて時なんだよね。誕生に至っては、戦後11年である。
1年がひと月ぐらいの感覚の今の私にしてみたら、ついこないだまで戦争やってた頃、って感じである。
戦禍の焼け跡もまだ、あちこちに残っていた頃だろうよ。
実際、私の子供時代は、街角に傷痍軍人なんて人たちも居たものだ。
小野田少尉もひとり、フィリピンで戦争を生きていたしな。
戦争が終わって生まれているので、私には、ずっと戦争はなかったわけだが。
だから、分かったようなことは言えないな、とも思うんだけど。
ただ最近、思うのは、こんだけ平和が続いてて、演劇なんてものに没頭して生きてても、突然逮捕なんかされない時代にいられて、そりゃ不満を言えばいろいろあるけど、とりあえず幸せなわけじゃないか。
なのになぜか、最近、不寛容 みたいなことが多くて、ちょっと息苦しいなと思うんである。
表現の不自由展のこととか、日韓関係とか、
ぶつかり合うエネルギー反応に、何かの快感が生じ始めているのかな。変なガスが溜まっているのかもしれないけど。
もし成熟というものが、本当にあるのなら、寛容、というものがその証じゃないかと思う。
許せない! と、これは右の人も、左の人も、時に激昂して叫ぶわけだけど、許せないことなんかない、という境地が、真の成熟なんじゃないのか。
あんた、それじゃ、大事な人を殺されて、その犯人を許せるのか、とか言うんだけど。
そんな事態が、本当に起きるているのはかなり稀有なことで、実際は、そういうことを想像して、勝手にわだかまっている場合が多いんじゃないか。
当事者となったら、全く違う考えとなる可能性は大いにあるし、それはその時になって、我が心に問うてみます、としか言えないんだけど。
少なくとも、我が身がまだ安全なところに居るのなら、
許し合いましょう、と言うのが大人の態度なんじゃないか。
若者は怒るだろう。そんないい加減な態度でいいのか、なあなあじゃねえか、と。
若者はそれでいいんだ。むしろ、そうじゃないと困る。
でも、大人なら、そんな若者のことも、許していい。
やがてお前にも分かる日が来るよ、と。更に若者が怒るような、言葉をかけてな。
相手が許してくれなくても、それでも怒らず、それを許すのか。
はい、許します。そして許して貰えるように、勤める。
その為にも、ぶつからない。
例え、自分や家族が殺されてもか。
はい、私は先に殺されようと思います。
実際にそういう会話が目の前であったんだ。劇作家協会の寄り合いで、
故井上ひさし先生に、ヤバい若造がくってかかったんだ。
アンタ、平和平和言ってるけど、北から攻めて来られたら、どうするんだ!と。
先生は、穏やかに言ったんだ。
まず私が殺されます、と。
まさかの時は、井上先生をカラダを張って守らなければと思い、ドキドキしていたが、その穏やかな口調を、今もはっきり覚えている。
こういう大人になろうと私は思った。
許さない!
という言葉は便利でね。特に芝居では。その一言で、グンとドラマが盛り上がる。キタキタという感じ。だから、たぶんそれを現実に使う人も、それでグーっと盛り上がるのだろう。
しかし
許さない ことから、幸せは生まれた事はないと思うんだ。
その言葉が、キマるのは、芝居の中だけでいい。