心の下痢ボタン
心の下痢ボタンってのがあってね。そこを刺激したら、自動的に涙が出て来るってやつ。俗にいう、俺ツボ的な者である。
私にとって、それは、行かなきゃダメなのに、やっぱりそこに戻って来て、死ぬより大事なことを続けちゃうパターンであると、確かこの日記でも、かつて書いた。例を挙げれば、
沈むタイタニックで、乗客たちの心を癒すために演奏を続けた楽団員たち。もういよいよ沈むな、って時に、もうこれで解散だってリーダーが言って、いったん解散するんだけど、一人一人とそこ戻って来て、傾いて行く船で、演奏を再開する。
デカプリオのやつでもそのシーンはあったけど、その前の白黒の映画の方が、そこだけは出来が良かったと記憶している。今書いてても、心の下痢ボタン連打状態になる。
それともう一つ、これは涙は出ないんたけど、心の便意ボタンみたいなのが、刺激されるパターンがあって、それは
思いがけず現れる、天使 パターンである。
この場合、天使とは、必ずしも、白い羽根を背負った姿ではない。
例をあげるなら、イージー・ライダーで
ラスベガスで捕まった、ヤバいバイク乗り二人を弁護する弁護士。ジャック・ニコルソンが演じてた。
弁護士が、バイク乗りたちと意気投合して、メットを被り、放浪に同行してしまう。
あ、こんなところに味方がいた、共感者がいた!と浮き浮きして来る。
イージー・ライダーの名場面では、必ずジャックがバイクに乗っかった、このシーンが使われる。
その弁護士が若造たちに(映画ではかなりオッサンに見えるんだけどね)言うセリフを、一時期、手本にしていたものだ。青春ドラマはこうじゃなきゃいかんな、と思う。
うろ覚えなんだけど、
アメリカじゃ、老いも若きも自由が好きで、自由自由と口にするが、実は、本当に自由なヤツのことは恐れているんだ。
奴らが恐れているのは、君たちの自由だ~
脇役のセリフだけどね。よく本の打ち合わせで、主役よりも脇役の方が立ってないか、とか指摘されて、主役にも何か書いて下さい、とか言われるんだが、少なからず、これらの影響がある気がする。
突然現れる、エンジェルが好きなのである。
そんな映画の、カッコイイ主役の一人が死んだそうだ。
こんなCMもあったな。
その俳優が、ナベサダとバイクに乗ってた。イージー・ライダーへのオマージュ的なCMで大好きだった。
どこに行く?
どこまでも
留まる人たちのドラマが、俺の心の下痢ボタンではあるんだけど
放浪への憧憬も捨てがたい、青春であった。
横浜桜木町『バイトショウ』明日迄。