初めての公演中止に思う

 来年、40周年を迎える劇団の歴史で、初めて公演中止を決めた。
 
 集まるな、集めるな、騒ぐな、触れ合うな。
 それは、演劇そのものの否定である。

 稽古場に集まって稽古して、劇場に人を集めて、唾飛ばして笑い合い、涙という名の体液を流して貰うのが、私たちの営みである。
 そんなお触れに従って、演劇が成立するはずがない。少なくとも、私たちが愛して来たスタイルの演劇においては。

 このネット社会、違う表現手段もあるだろう。そこに変換してゆけと言う意見は正しいのかもしれない。でも、物心ついて以来、それを愛して40年やって来た。ネット演劇の可能性は次の世代の人たちに託したい。私は、そういう延命措置を断り、生身の人間たちが集まり、集める、伝統的劇場に殉じて、この演劇人生を閉ざしたいと思う。

 我々の最大の敵は戦争なんだと、ずっと思って来た。しかしこんな敵が私たちの未来には潜んでいたのだ。角川映画『復活の日』とか青春時代に見てたのに……そこに対する覚悟も備えもなかった、不明を恥じる。

 劇団を運営する会社、(有)扉座はまったく仕事にならない。一方で家賃などは払い続けなくてはならない。問題は、入金なく、この会社がいつまで保つか。内部留保なんかないから、助成とか借金とか、私財とか、総動員して凌ぐしかないが、自粛や活動制限は年内続くと思った方が良いという専門家の意見が正しいなら、会社は閉じるしかない。巷のお店と同じである。

 覚悟を決めなくてはならない。
 国なんか、頼りにならない、自分に言い聞かせている。もちろん最大限、公的な助成など受けることを検討する。こんな小さな会社でも、毎年決算して、時に税務署の監査も入られて、税金を搾り取られて来た。文化芸術云々の話の前に、中小企業としてその権利はあると思う。
 それも長引けば、やり繰りはつかなくなるだろう。稽古場を手放し、事務所も閉める。
 私たちの仕事である演劇が、経済的に成立する環境を取り戻すのは、間違いなく世の中のいろんな営みの中で一番最後だ。
 一番先に影響を受けて、一番最後まで影響を受ける営みなんだ。

 その回復の時まで、返済に生涯かかりそうな借金を重ね続けることは出来ない、いかに無利子であってもだ。
 そういう意味で、58歳の私には残り時間が少ない。猶予期間を加えても例えばここから15年間、この間に負った借金を払い続け、尚且つ、潤うことはない劇団活動を維持し続けることが出来るとは思えない。
 2月あたりから、5月頃には何とかなってるだろうと希望的な観測で楽観して来たが、その甘い考えを改める。
 自己破産も含めて、当然あることだと自分に言い聞かせる。
 力尽きて無様を晒してしまうのは仕方ないけど、人として無様なことはしたくないから、潔く退く覚悟を決めておく。

 今まで何とかやってこれた、それが奇跡だったのだと思う。
 まあ、少し先も見通せない、会社運営のことは、しばらくは今後の事態を見守るしかない。
 
 しかし劇団は別だ。

 劇団運営のために作った会社がなくなれば、当然、今までのようにはゆかなくなる。
 でも、稽古場がない、事務所がない、金がない。

 それがどうした?と言えば、それがどうした?なのである。

 そんなものなくても、芝居を作って来た歴史も我々にはあるのだから。

 扉座の前身、善人会議が1982年 下北沢スズナリにおいて、その前身、模様劇場解散の残党たる、横内、岡本(岡森)、山地(六角)、杉山の4人を中心に旗揚げ公演『優しいといえば僕らはいつもわかりあえた』を敢行した際、用意したのは、私が出した5万円に、他のメンバーが2、3万円づつ、計10万ほどの資金だったはずだ。
 チケットを必死に売って、土日の二日間で4回公演、500人ぐらいを集めて、次の資金20万ほどを残したと記憶する。もちろん、ノーギャラで、スタッフも縁故を辿って、ほぼボランティアでやって貰った。
 稽古場は公共施設だ。それも基本無料の場所。

 その40年前、すべてに先駆けてあったのは、上演したいと思って私が書いた戯曲と、演じたいという思いだけで集まった若い役者たちと、そんな我々に手を差し伸べてくれてスタッフを引き受けてくれた、友人たちだった。
 もちろん、原則的に電車賃も自腹、弁当も出せなかった。
 今、扉座では、新人でも公演に出て無料と言うことは、原則ない。弁当はあるし、打ち上げで料金徴収もない。
 昔は、打ち上げを割り勘にするかどうかで、真剣に悩んだものだ。割り勘の打ち上げを、地獄。経費払いを、天国と言って一喜一憂していた。
 最後にただ酒を(劇団が払うんで、ただじゃないんだがな)飲むために、公演を頑張ったと言っても過言ではない。
そういう意味で、ここ30年以上、扉座はずっと天国であった。

 だけどその程度のことだ。
 劇団活動で儲かるなんて誰も思っていない。儲かってる劇団は、たとえば四季や宝塚歌劇団だろうけど、あの形態を私たちは一度も目指したことないからな。
 これはたぶん金にはならない、そう分かった上でやってるんだ。

 宴会が割り勘に戻るなら、劇団を辞める。
 そんな奴は劇団にはいないのだ。

 唯一、そう言い出しそうなのは、あの頃から地獄宴会を心の底から憎んでいた六角精児であるが、彼は今や、全額奢りの宴を度々開いてくれている。
 割り勘が嫌いなだけだ。

 つまるところ、金じゃないんだよ。
 金は必要だから、こうして悩まなきゃならないが、
 金が第一の条件だったら、こんなものとっくに消えている。
 
 いろんな形態の公演に私は関わっている。
 そのすべてが経済的な契約なしでは、成立しないものだ。
 それらが今後、立ち直ってゆくには、時間がかかるだろう。これにて、終了となってゆくものも多々あろう。

 そんななかで、唯一、そこに縛りのない可能性を残しているもの。
 それが劇団だ。
 私たちに契約なんかない。
 劇団は、同志として活動してゆくものだから。
 実際、劇団扉座は任意団体である。
 
 いつの間にか、集まって、そうなっているだけのものだ。(それだけじゃ、社会的に継続してゆくことが出来ないので、運営する会社を作らなきゃならなかった)
 劇団員とか準劇団員とか一応、線引きがあるけれど、そんなもの私でさえ覚えてなくて、たびたび間違いを指摘される。
 みんな一緒に芝居作ってるやつら、以上、終わりだ。

 それを繋ぐもの、それは、気持ち以外に何があろうか。
 今の社会でそれを言うと、虚しい精神論であろうよ。
 竹ヤリで闘えみたいな。
 だがしかし!
 劇団においては、それがリアルなのである。
 その考えが当然という、狂気の、或いは奇跡のような集まりなのである。
 
 何度も何度も、もう辞めようと思いながら、
 小さな物件は買えるぐらいの私財を投じ続けて、
 今まで続けて来たことの真価が、問われる時だと思う。

 非常時に強いのは、家族と劇団!(劇団でなくても、同志的集団と思えば、汎用可能)
 世界がそれを思い知る、それがこのコロナ禍の時代である。



 取り止めなく書いていますが、
 こうして何か書いていると、落ち着くので、これからしばし続けていきます。
 いいたいことも一杯あります。


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