空気をよまない体験
たまに、特別講義のようなものとか、講演とか頼まれることがある。
出たとこ勝負で話せるほどの話力はないから、それなりに何を言おうか、依頼者の主旨とか、寸法も考えて用意して行く。
しかし、そのすべてを語って帰ることはほぼ皆無。
たいてい、用意した7割ぐらい。酷い時には、半分ぐらいしか話せないこともある。
場の空気を感じるからである。
聞いてくれる人の顔を見た途端、或いは、会場に着いた途端に、用意したものが届くかどうか、不安になったり悪い予感がしたり、する。
今まで、けっこうアチコチで辛酸をなめて来たから、我がセンサーは過敏になっている。
うちの学生たちに、ぜひ、熱くエンゲキを語って下さい!
と言われてその気になって熱く燃えて行ったら、予定人数の半分も出席してなくて、しかも出席を取るや否や、踵を返して退席する無礼者までいる。
己の学生時代も似たようなものだったから、そんなこともあろうよ、とも思うけど、そこに呼ばれた側は地獄だよな。
しかもそういう講演に限って、熱心に呼んでくれた担当者は、何かの用事で十中八九同席しない。初対面の係の人が、こちらです、とか言って、案内だけしてサッと消えてゆく。
冷え切った空気の中に取り残された、その孤独感。
そんな場合は、いきなり本題に入っても無理だろうなと判断して、用意した内容を変更して、雑談を多めにしたりする。
挨拶の時からいきなり、突っ伏して寝ている姿を目撃することも稀ではない。
そんな時はまあ、何を必死に話しても、たいてい起きゃしないんだけど、この状況でひとり、突然やって来た講師だけが張り切って語るのは、お互いに不幸だととっさに心のブレーキがかかって、せめて起きてる者を相手に楽しませたいというモードになってしまう。
そこに至ると、もう言いたいこともクソもない。ただただこの場を成立させる、それが目的にすり替わる。
昔は、ムキになって、何とか振り向かせようと頑張った。
しかし、長年の経験で、それがいかに虚しいか思い知った。
ハナから聞く気のない聴衆をこちらに向かせるのは、去っていった女性を振り向かせるのと同じぐらい難しい。
何よりも、その虚しさの後のダメージが大きくて、ノコノコ来るんじゃなかったと、講義の途中から、激しい自己嫌悪に陥る。
そう感じて人々の前に立つ時間は拷問だ。
きっと聞く方もそうだろう。
空気も相手も気にせず、小声で言うだけ言って、ヒョイと帰ればよいと言う人もいる。
それでも聞く人だけ相手にすればよいのだと。
性格なのか、それが出来ない。
創る芝居にもそれが出てますよね。分かる人だけ分かればよい!という姿勢が無理なんだ、私は。
読まなくて良い空気を読んで、いらぬ忖度をしてしまう。
芸術家の端くれなのに。
つくづく、就く職業を間違ったと思う瞬間である。
おい、起きろ!聴け、この野郎!
そう言えれば楽だけど。初対面で、そんなことして話し出して、普通に講演を続けられるような強靭な精神は持っていない。せいぜい、すみませんでした、と頭を下げて途中で帰るぐらいかな。それだって、したことはないが……
ところが、今、何の空気も読まず、語りたいことを、ひたすら語り続ける講義をしている。
コロナのせいで仕方なくスタートした、オンラインの扉座研究所である。
4月の半ばから始めて、数回続けたが、ここで言いたいことを言うパーセンテージが、自分比で飛躍的に伸びている。
エンゲキ志して半年、1年みたいな若者相手(な中には10年以上の者もいる)に、絶対に通じないだろうなと思うような、専門的なこともまあまあ話すのだが、
私には極めて珍しく、途中で気持ちが萎えると言うこともなく、今のところ用意したことを全部、言いつくしている。
それはなぜか?
この未曽有の非常事態下、我々の仕事に対して危機感が高まっているから。というのももちろんある。
こんな時だから、この世界の先達として果たすべき役目があると、勝手に燃えていることも事実。
しかし、そんなことより答えは簡単で。
オンライン、うちはZOOMを使っているが。
やはりライブと違って、場の空気を読むことが難しくて、相手の反応が感じにくいからである。
オンラインでも双方向の会話は出来るし、画像が生きていれば顔色まで確認は出来る。
でも、場の空気みたいな、目とか耳とか以外にも、肌で感じるべき情報は伝わってこない。
一方で、ひたすら一点、画面だけを見て話すのは、意外に集中しやすい。
受け取る側はどう感じるのか知らないけど、多数相手に話しているのに、一人に向かって語り掛けるような錯覚も起きて、尚且つ、細かな反応や違和感を肌で感じることもないから、語るほどに自分の世界に没入する感が増してゆく。
その結果
空気を読むことなく、かつてなく、言いたいことを言いつくしている自分がいる。
もしかしたら、勝手に突き進む姿勢は、受け取る相手には迷惑なのかもしれないけどな。
こちらは、一回終わると軽く放心し、空っぽになった感がハンパない。
伝わってるかどうかは分からないけど、
手加減なく迫力を持って語ったなという充実感を持つ。
少なくとも、いつも以上に、大事なことを大事なこととして語っていることは間違いない。
空気を読んで、寸止め、三寸止め、時には一間止めみたいな、手加減ゆるゆる話になることの多い私にとっては、意外な武器を手に入れたという気がしている。
この先、人が集まれる状況になっても、これはこれで続けても良いかなと思っている。
扉座オンライン研究所 さまざまやってます。
詳しくは、扉座HPへ、ぜひ!