劇団活動は労働である、という判決に対して申し上げる

コロナ禍での公演『リボンの騎士 ベテラン篇』を何とか無事にやり終えて、ホッと一息つこうとしたところに、私にとって捨て置けぬニュースが飛び込んで来て、またぞろ心穏やかならぬ日々を迎えている。ひとり怒り狂っている。

劇団活動は労働である。劇団は団員に最低賃金を支払うべきだ。

という判決が高裁で出たのである。どっかの劇団に、タダ働きさせられ酷い搾取を受けたとして訴えた元劇団員の主張が通ったのである。
その集団が劇団と言えるのかどうか、我々が思う芸術上の同志として集まった劇団と言うよりも、プロデュース会社が運営する、営利団体に近いんじゃないかと想像するが、
今、劇団と言う名で報道されている。

激しく抗議したい。
演劇に関わる者、誰も幸せにしない判決だ。
40年、小劇団を主宰して来た者として証言する。この判決が世に出回って、厳密に実践される時、この世から劇団は消える。そうなれば役者のみならず、スタッフ、観客、あまたの演劇難民が生まれる。

だってそれじゃ、商業演劇化するか、完全なるアマチュア宣言をするかしか、継続する道がなくなるってことだから。

今、得体の知れぬ疫病と、仲間たちでもう一度気持ちを重ねて、闘いに挑み、何とか普通の演劇公演を取り戻す日まで頑張ろうとしている時に、
その心に冷や水を浴びせられた。

今回の公演に向かう気持ちは、パンフレットなどに綴ってある。

当初の予定が実行できなくて中止しようと思ったが、念のために劇団員に、もしかしたら全くのタダ働きになるかもしれないが、こんな時だからこそ劇団員一丸となって、公演を打たないかと呼びかけたら、スケジュールの都合の着く者全員が賛同して、参加してくれて実現したものだ。
だから高校生の青春ドラマを、そろそろ還暦になろうかというメンバーたちまで混じっての、ベテラン篇と相成ったのである。

お客さんたちは、その姿勢を支持してくれ、喝采を送ってくれた。

でも、今回の判決で、法律上これは違法であり、訴えられたら公演の主催者である私は罪人となることになったワケである。

念の為に言っておくが、この公演も決して団員のタダ働きにはしない。払えないかもとは言ってあるが、何とかして払うと思ってやっている。
まさに今、いろんなやり繰りをして僅かでも、皆にギャラを出すために必死に計算中だ。ちょうど昨日、今後の為にも、会社としては初めて、かなり多額の借金もしかるべき金融機関からすることに決めた。それでも、準備稽古にかかった時間、などを時給計算して最低賃金に届くなんてことはとても無理だ。
予算がない公演だったから、スタッフワークは団員たちで分担してやった。その分も払わなきゃ、違反になるというのだから。

しかもいいですか。
私の原作料、演出料なんかはまったく据え置きですよっ。(それは今に始まったことではなく、私の給料は基本的に、劇団外で請け負う仕事の収入で賄う計算にしてある。つまり劇団において、私こそが真のタダ働きなんだ)

劇団なんかもう辞めてやる。そう思う私、何か間違ってますか?

何度も言うけど、そうなって劇団が消えると、うちの劇団員の多くは助かるどころか、困るんです。

 細かな主張は、最近のTwitterとFacebookに次々にあげているので、興味のある方はそちらを見てみてください。胸が熱くなるような賛同の声とか、なんだかな、と思うような私への非難の声とか、例によっていろいろ発生しています。
 大問題のはずなのに、狭い世界のことで、そんなに盛り上がらず、炎上なんかしていないのもいつも通りだけど……

 言いたいことはいろいろあるけど、この日記では1点だけ述べることにする。

 この判決は 劇団経営者と団員の関係を労使関係としているのだと思う。
 それが全く見当違いだ。
 少なくとも私の劇団では、古くからのメンバーは同志であり、中堅以下のメンバーと私は師弟関係である。
 
 判決では元団員が、役者にもかかわらず出演以外の仕事でタダ働きさせられたとある。この劇団?カフェとかも経営していたようで、そこでタダで働かせていたというのは、確かにやり過ぎだろうと思うし、元劇団員にも同情の余地はある。
 ただ、この判決が独り歩きすることは大間違いだ。

 Twitterにはこう書いた。

 駆け出しの者たちにとって、稽古場にいる時間、劇場にいる時間、真のプロの側にいる時間、それらすべては修行となる。
 才能のある者は、雑用からも学ぶものだ。

 古い徒弟制度の理屈ですね。
 落語家に弟子入りしたら、稽古なんか付けてもらえず師匠の家の掃除をして犬の散歩ばっかやらされた、みたいな話。
 うちはそんなことはさせてません。むしろ私のプライベートに団員なんか入れない。
 こないだのオヤジの葬式は、みんなに手伝って貰ったけど、父は有限会社扉座の取締役だったので、社葬であり、しかも強制はひとつもしていない。
 雑用と言ってもあくまでも、芝居創り、劇団維持のための作業である。

 Twitterに書いたところ、こういう意見も頂きました。

 こういう強制が間違っている。こういう誤った考えを裁く必要があるのだ、酷いトップだ、みたいなご批判。

 私も昔はそう思ってた。古い師弟制度みたいなのはナンセンスだと。
 しかしこれはもう、劇団を、演劇を、四十年やってきた信念と言って良いけれど。古い徒弟制度にも、大きな利がある。なぜなら芸事、役者修行というものは、現代の合理主義、デジタル化では到底賄いきれないほど複雑怪奇なものだから。

 いはば「雑用からも、芝居を学びとるセンスを獲得すること」が修行なんだよ。

 そこに気付くには、単に稽古積んでも難しくて、これ意味があるのかというような単純な反復練習が必要だったり、時には師匠の肩揉んで、昔話を漏れ聞くことが大事だったりするんだよ。
 寺の修行もそうだろう。
 合理的には説明できない。馬鹿げてると投げ捨てればそれまでのことだらけだ。
 でも、今の時代もそれが必要とされ、そこから真理に近づく修行者は大勢いる。
 だからこそ人間は面白く、素敵なんだろ。それがドラマになるんじゃないかね。

 師匠だって、稽古場で本音を言う訳じゃないんだから。
 むしろ稽古場じゃ、肝心なことは伝えられないと思う師匠も多いと思う。
 稽古は基本だけど、そこは技術を伝える場所で、奥義はそこでは伝えきれない、と。
 真実が酒場や、休憩時間のトイレや、遊び場で語られることも少なくない。
 教える方も機械じゃないからさ、語りたいタイミングってものがある。大事な極意を、駆け出しの若者に、ついつい語ってしまう時がある。
 その瞬間に出会うことが徒弟制度での修行なんだ。

 私は、後の世の伝説・三代目猿之助と幸せなことに何度も仕事をさせて貰って来た。それで学ぶところも多々あったワケだが、歌舞伎の極意、演劇の神髄を学ぶには物足りなさを常々感じてた。

 ある日、どうしたら、学べますか?とおたずねしたら、
 私と共に暮らすことです、と言われたよ。
 寝ても起きても、歌舞伎のシャワー浴び続けることです。

 こんなことをどうやって時給計算するというのだ。

 断言する、馬鹿な演出家や、センスのない役者のレッスンを何時間受けるよりも、六角精児と麻雀やった方が、技術的な進歩は決してしないが、少しマシな芝居が出来るようになるよ。
 ただし六角が誰とでも麻雀をしてくれるわけじゃないから、甘く考えてはいけないよ。
 君にその番がいつ巡って来るのが、神様にも分からない。ましてや金で買える経験じゃない。
 だからこそ、一緒に暮らせという話だ。
 
 芝居を知らない人、分からない人に、この感覚は伝わらないのかな。
 修行は決められた時間、決められた役割だけで、稽古場のみでやるものだと思いたいのだろうな。
 そんなこと言ってたら、何ひとつ掴めないんだ。
 芝居を覚えるって、そんな単純な作業じゃないんだって。

 私の意見はさておき、説得力を増すために、ちょっとズルして、偉人の言葉を引用したい。
 虎の威を借る狐である。
 私の敬愛する劇作家が、直に語ってくれたことだ。

 故・井上ひさしさんである。

 劇作家を育成するのに、どうしたら良いか。劇作家協会で意見を交わしていたんだ。
 井上さんは、このように語られた。

江戸の芝居小屋には、作者部屋というものがありました。立作者という、大師匠の下に若手の作家志望たちが集まって、劇場の用事などをこなしつつ、作家修行をしていたんです。
江戸歌舞伎は、四世鶴屋南北作とあっても、全編を南北が書いたわけじゃなく、見せ場の前段とか、脇筋とかの部分は弟子たちに分担で書かせていたのです。
そこが作家育成の場所になっていたわけです。

ただそうやって、見習い作家が一シーンでも任せて貰うまでには、書く以外の仕事を嫌と言うほどやらされる。
劇場に住み込んで、あらゆる雑用をします。おそらく死なない程度の小遣い銭だけ貰って、主に先輩や役者にたかって生きてたんでしょう。

表回り裏回り、劇場って雑用が多いですからね。
それが無駄かというと、決してそんなことはなく、その仕事こそが若き作者たちに芝居とは何かを教えていたのです。

かく言う私も、そうやってあらゆる雑用と裏方仕事から芝居を学びました。
私の場合、浅草のストリップ劇場、フランス座でしたが。
ストリップの合間のコントを書かせて貰うまでに、踊り子さんの出前の注文をしたり、お使いに走ったり、衣裳のほつれを直したり、おおよそ作家の仕事だとは思えない時間をたくさん過ごしました。

しかしその劇場での生活の中で、喜劇俳優たちの生態を肌で知ったり(※当時、浅草のストリップ小屋には、かの渥美清さんなど、後の名優たちが裸踊りの合間のコントであまた出演していた)、同じコントの演目でも日によってお客のウケがまったく違うことに気付いたり、お客の心理とか、難しい裏方さんが何を大事にしているかを、身をもって覚えていったんです。

今の時代、作家志望の人間が、そうやって劇場に生活して、芝居を肌で覚えるような場所がない。皆さん、劇作家だからご存知ですよね。決められた時間に、教室で、学べるほど簡単なことじゃありませんよね。
劇場で生活する以上の勉強はない。
もし私が大金持ちになったら、劇場を建てて、そこに江戸時代のような作者部屋を置きたいと思うんです。

それを聞いた、故・斎藤憐さん(『上海バンスキング』等)が後に、エッセイにこう書き残した。(覚え書きでごめん)
「私は大学を出て、俳優座の養成所に入所して、演劇を学んだ。(その頃、俳優座の養成所は演劇界の超エリートコースでした)しかし、井上さんの話を聞いて進路を間違えたと思った。浅草に行くべきだった……」

 井上先生の声が今も聞こえてくる。
 憐さんの笑顔が思い浮かぶ。
 加えて別役実さんの楽しげな細い目も……

 その時、皆さんその場にいて、井上先生の話に頷いていた。

 三人とももうお会い出来ないが、この判決を聞いて、何とおっしゃるだろう。

 憐さんが学んだ俳優座だって、戦後、自前の劇場を持つために、名だたる名優たち(仲代さんとか、栗原小巻さんとか)が映画、テレビに出まくって、そのギャラの8割ぐらいを劇団に納めていたと、かつて扉座に客演してくれた、名わき役の故・滝田祐介さんが語ってくれた。
 その劇場は、今も六本木の一等地に、建っている。
 資本主義の総本山のような六本木交差点にひっそりと在り続ける、その場所は、劇団員たちの、純粋無垢な芝居への思いの結晶だ。
 あの場所がブランド品のブティックではなく、劇場、しかも難しめのセリフ劇などを日々上演している芝居小屋であることを、この国は、その由来と共に大いに誇るべきなんだ。

 或いは、秋田のわらび座は今から60数年前、角館から車で15分(その間、信号ゼロで一本道ぶっ飛ばしてね)、人里離れ熊や鹿が出るような荒野に、自分たちの力で何と800人収容の大劇場を自前で建て、今もそこで毎日公演を行っている。
 その昔、団員皆で、全国に公演して回り、資金稼ぎをしたのみならず、合間には劇場建設の基礎工事などの労働奉仕に励んだと言う。
 座の古老は、あの小屋の基礎はわしが打ったと誇っている。

 この判決に照らせば、これらもとんでもない搾取の象徴となるのだろう。
 しかしわらび座も俳優座も、そもそも共産系の劇団だよ。
 労働者たちの強い味方だったのだよ。
 何が食い違って、こんなことになるんだ。

 そのわらび座が、このコロナ禍で、経営が苦しくなり、すがる思いで寄付を募ったところ、かつての仲間たちや観客から、なんと一億五千万の寄付が集まったという。(※それでも劇団の規模がでかいし、今までの借金もあるから、安泰ではないのだけど)
 寄付者たちが、次々に電話をかけてきて、泣きながら、頑張って下さいと団員たちにお願いをし、団員たちも泣いて頑張りますと、返したそうだよ。
 寄付した人たちが泣いて、頼んだって。挫けないでと。
 作家として長くお付き合いさせて頂き、シンパシーを感じつつも、この劇団はもう潰れるしかないだろう、扉座よりも確実に先に逝くだろうと思った、秋田の老舗劇団が、何十年にも渡って心血を注いで続けてきた活動の底力を知った。

 なあ、それでも劇団活動は労働なのかね。

 大事な何かが踏みつけられたと、私は感じて仕方ないんだ。

 ただでさえ、みんなコロナで苦しくて、まずはそれを精神力でカバーして、力を合わせて乗り切ろうとしている、この時にな。

 この国は文化を滅ぼしたいんだろう。


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