10knocks ご声援ありがとうございました!

公演を応援して下さった皆様にお礼申し上げます。
ありがとうございました。

さて
久しぶりの日記。
SNSでの宣伝に必死で、長文を書く余裕がなかった……


10knocks 10作品日替わりリーディングが無事に終演した。
日に日に増える感染者数に追いかけられて、中止、打ち切りを覚悟していた。感染予防は頑張ったが、正直、幸運でしかないと思っている。今の時期、最善なのは引きこもって家でやる仕事に没頭することだ。私なら芝居書き。しかしいろんな事情で、公演をやめるのも地獄となる。博打を打つしかない。

お店なら、何か起きたらとりあえず数日休んで再開という道があるが、我々の興業はその数日が消えたら、数年の支度が丸ごと消える性質のものなのだ。
寿命が縮むよ。

そんな我々にたくさんの応援が寄せられた。ご支援チケットという、ご寄付みたいなものにも、たくさんの申し込みをして頂いた。今後につながる力を授けて頂いた。
(※ お届けする豪華パンフレットが山ほど余っているので、ご支援チケットは年内継続します。こちらも力作で中身も評判が良いので、公演に来られなかった方はぜひ。というよりも扉座存続にご協力いただけましたら幸いです。詳しくは扉座ホームページにて)

10knocks では私が演出した作品の前は、前説で舞台に出続けた。こんな時に劇場にきてくださった方たちに直にお礼が言いたかったから。
そこで思い出や、日々思うことなども少しだけ語らせて貰った。

千秋楽はこんなことを申し上げた。記録のために要約して残しておく。




第10夜 前説

この間に私は大事な言葉を得ました。「生命維持装置」というものです。
ドイツの文化担当官がコロナ感染が深刻化した春先に発した言葉です。
「文化芸術は我々にとって生命維持装置だ。しっかり支援して守りたい」
残念ながら、我が国ではなくドイツでの発言ですが。

もっとも我々もそんな大それた考えは持っていませんでした。
芝居も劇団も、ただ自分たちが好きでやっていることなのだから、貧乏も消滅もすべて自業自得という論理に慣れきっていた。
不要不急のものとして扱われても、ろくに反論もしなかった。

しかし今、こうして世界が不安におびえる中、劇場に人を呼んで芝居を見せるなんて言うことは、生命維持装置でなくては、実行する資格のないことなのだと痛感しています。
危険を冒して劇場に来てくださった方々に、きっちりと何かをお届けしなくては、あまりに申し訳ない。何も届けられないものは、こんな時には何もしてはいけない、劇場を開ける資格はない、と。

生命維持装置とは、とても有り難い言葉ですが、同時に我々に大きな課題を突き付けてくる厳しい言葉でした。

しかしこの連続公演では嬉しいことがあった。
最近やってないものを中心に懐かしい演目を並べたこともあって、古いお客さん達がとても盛り上がってくれて、SNSでそれぞれに思い出を語ってくれたり、懐かしいパンフやグッズを紹介してくれたりしました。
大切にとっておいてくれた、それらを宝物のようにわざわざ劇場に持ってきて、見せてくれたりして。

善人会議を必死に追いかけた、熱い青春の思い出だった。
扉座の公演で友達が出来た、大事な人に出会った。
人生の岐路で、扉座の作品を見て、勇気ある決断ができた。
今は子供がハマってて、家族で扉座の芝居の話をしている。

まあ40年やってきましたから、我々にもいろんな歴史があるんですが、お客様たちの人生もそこに重なっていて、私たちの芝居が何かの役目を果たしていたということを
この公演でたくさん知ることができたわけです。
そして皆さん、その思い出を今も大切にして下さっている。

これからもそういう劇団でありたいと思います。
そういう作品を作り続けていきたいと思います。
我々は生命維持装置である。
胸を張ってそう言えるように、これからも活動して参ります。

なんとこの後、年末28日、29日。
6月に中止を余儀なくされた『お伽の棺』の復活公演まであるんです。
これも劇団延命の一策として、かなり無理をして、頑張ってやるものですが
さらに気を引き締めて、臨みたいと思います。


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