そして航海は続く

東京は穏やかな晴天です。

昨年2月、父が他界して喪中ということで、新年のご挨拶はご遠慮しております。
まあ、父は陽気に、おめでとうと言ってると思いますが。

それにしても
父も自分が消えた後、まさかこんな世界になるとは、つゆとも思わなかったでしょう。
ちょうど父の葬式を境にして、世界の様子が激変してゆきました。

ラッキーというのは変だけど、お父さん、絶妙のタイミングで幕を下ろしたね。家族一同、心から拍手するぐらい、あの頃が、世界の変わり目だった。
何しろ堂々と葬式が出来ましたから、まだあの時は。

しかも、治療をしない方針を選んだガンとの闘病で、残り時間を意識しながら、ギリギリまで本音で会話が交わせた。思うことを存分に語り合えた。言葉が自由自在に行き交ったから、そこに笑顔も溢れたワケです。もちろん涙も流したけど……
言葉は偉大です。そこに生きた言葉があると、不思議に涙だけでは終わらない。
そう思っていなくても、何かを必ず未来に繋ぐ。

その逝き方が悲しいばかりじゃなくて、笑顔の記憶もたくさん残し、何か希望を授けてゆくようなものだったから、
根拠はないけど、こんな困難もきっと乗りこえられる、という楽観的な気分を私は保ち続けることが出来た気がします。
昨年、劇団はコロナのせいで事務所を失いましたが、以前日記に書いたように、その引っ越しはまるでお祭りでした。
よい大人たちが、非常事態のさなかにゲハゲハ笑って、夕立に降られてずぶ濡れになるのを楽しむ子供たちみたいになってた。
笑い合って、面白かった、楽しかった。

人を歓ばせることを忘れるな。

父が母に残した遺言みたいな言葉です。それを母から聞いて、私の座右としようと思いました。
母に言った言葉なので、必ずしも芝居創りの話でもなかったはずです。
でも、私は
いつも人を歓ばせようと思って、書いて、稽古して、公演していますから。
若い頃には、驚かせたいとか、唖然とさせたいとか、この世界に衝撃を加えたいとか、思い千々に乱れる野心も沢山あった気がしますが
今はもう、そういうものも全部ひっくるめて、ただただ人が歓んで下さるものをお届けしたい。
そんな境地に近づいています。
だから、父から授かった人生訓であるとともに、これから先、最期の時まで、私の仕事の信念になるものだと思います。

得体の知れない疫病に世界が襲われている中で、どうしたら人を歓ばせることが出来るか。
乗りこえるとか、踏ん張るとか、励ますではなく、歓ばせなきゃならないわけで
当たり前ですが、かなり陽気に、或いは能天気にならなきゃ、そんな気分は湧いてきません。
しかし、こんな時でも、人が笑顔で、楽しそうにしてくれる。
それはお客様だけじゃなくて、役者たちとか、スタッフとか、劇団員たちも。
その光景を想像して、あれこれ手立てを考えることは、見えない敵と闘いの中、不安を打ち消す特効薬でした。
人を歓ばせることは、きっと自分を救うことでもあるのでしょう。
その言葉は、心が休まる呪文のようでありました。

年末から急激に情勢が怪しくなり、
この先、まだ何が待ち受けているか、更なる苦難も覚悟しないわけにはいかない感じです。
まだ何も乗り越えていないので、油断している場合じゃない。
気を緩めずに、満身創痍の船の舵取りをしていなかきゃならない。

まさに天気晴朗なれど波高し。
てやつですね。

けれど
まだまだこの高い波を楽しむ余力に溢れていますと、皆様にお伝えします。

さて次はどうやって、愉しんで頂こう。
そう思って、年越しをしました。

この間、ご支援チケットとか、チラシも撒けないなかでの宣伝協力とか、励ましのお言葉とか、胸が熱くなるお力をたくさん頂戴しました。

心から、お礼を申し上げますとともに、これからの活動で、その御恩をしっかりとお返しして行こうと思います。

ご期待下さい。


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