清水邦夫先生
劇作家、清水邦夫さんが亡くなられた。
最後にお会いしたのはいつだったか、忘れてしまうぐらいご無沙汰していたが、いろいろとお話ししたいことなどあったので、残念でしかたない。
45年前、高校演劇のコンクールに審査員として登場され、私の処女作を講評して下さった。そこで熱く褒められて、私も岡森も六角も、舞い上がってその気になったと言っていい。
その後、早稲田大学に通い始めた頃、清水さんが文学部で講義をしておられて、そこに潜りで受講させてもらったりした。
ギリシア悲劇のオイディプスのことなど話しておられて、読んだことのなかった私は慌てて、その帰り道で早稲田の古本屋で買い求めて読んだものだ。
劇団旗揚げの頃には、新しい戯曲を書くたびに、勝手に送り付けたりもしていた。今思えば、ご迷惑だったはずだけど、とても丁寧に感想など書いて下さった。
私如きに送って下さるお手紙も、清水戯曲の文体そのままで
戯曲の上では本作はまだ、塀の内に落ちるか外に落ちるか、定かではありませんが……
なんて詩的に講評してくだされた。
青春時代に憧れて目指したのは、つかこうへい だったけど
清水さんは私にとって、かなり具体的な先生であった。
ただ、その文体は難しすぎてとても真似などできなかった。せいぜい、タイトルを長くするぐらいか。
初期の作品には、清水的に長いタイトルのものもある。
楽屋 とか タンゴ・冬の終わりに あたりは初演を観ている。
あと文学座アトリエでの作品など。
タンゴなんか、蜷川演出も加わって、観終わってしばし放心状態になった。
耳について離れなくなった、カノンを何度もリフレインした。
あのような興奮をどう作るか、とても真似できるものではなかったけど
ああいうエクスタシーを生み出したいと思ったものだ。
20代半ば、つかこうへいの模倣が嫌になっていた。では自分の世界をいかに作り出してゆくのか。
清水さんの姿が、ひとつの道しるべになったことは確かだ。
享年84歳。
青春の光と影を描く作家だったが、そんなお歳になっていたのだな。
私が今年還暦を迎えるのだから、そりゃそうか。
蜷川さんが亡くなられ、清水さんも逝ってしまわれた。
私の同時代が、徐々に消えてゆく。
寂しいな。
でも、あの真似のできない文体の感触は、今も私の中に残っている。
唯一無二の世界観だよ。
久しぶりに、非情の大河でも下ろうか……
先生、あの時、励まして下さってありがとうございました。