怒涛の6月!へ 『日蓮』とか『マスホ』とか『婆』とか。

去年の今頃はひたすら生き残りを画策していた。
と同時に、演劇とはこの世界にとって何なのかとか、なんで俺はこんなことやって来たんだろうとか、思いがけぬ停滞の時間の中で、否応なく自問自答の日々を過ごした。

今も不安と不透明の状況に変わりはないけれど……
どうにかこうにか『創る』ことが再開されていて、目下はそっちに魂が持っていかれている。
昨年の予定が、今年に編入されたりして、スケジュールの大混乱も起きていて、本当にコレ全部出来んのか、やんのか。
考えても答えはないのでとにかく、やる前提で、すべて支度するしかない。

ついにブログを書く暇もなくなった。

年末辺りからずっとそんな感じ。
まあ、沈思黙考にもそろそろ飽き始めてたから、創る、時間が戻って来たのは有り難い。

それでこの六月はとんでもないことになっている。

昨年春、公演途中でコロナのせいで中断した『スマホを落としただけなのに』の復活公演。
私にとって初めての歌舞伎座での公演になる『日蓮』
扉座の新作公演『解体青茶婆』

この三つを、次々に開けてゆかなくちゃいけない。

『日蓮』は、当初の予定から企画が二転三転した。日蓮降誕八百年という記念公演で、数年前から此の年の六月あたりとして、結構大掛かりにやろうという話であった。
たまたま昨年亡くなった私の父が、幼い頃過ごした、秋田の家が日蓮宗で、自分の墓も日蓮宗のお寺に立てていて、今はそこに眠っていたりして、決して無関係ではなく、そういう意味で御縁は持ちつつも、私自身には、特に信心はなく、あくまでも人間ドラマとしての日蓮を描くつもりで、取り組んでいた。

ちなみに強いて言うなら、私の信心は演劇教。教祖は自分である。

しかしコロナ禍によって企画は暗礁に乗りかかり、そもそも、この時期に本当にこの公演をやるのかと、何度も検討もされた。
何しろ、ただでさえ短い歌舞伎の稽古時間が、現在大幅に制限されていて、しかもスタッフキャストも密を避けての少人数化が求められ、とてもじゃないが新作に取り掛かるようなムードではなくなったのだ。

今回の企画には、身延山の日蓮宗が関係している。
せっかくの記念公演なんだから、延期も考えたらどうだろうかと、当然の意見もたくさん出た。

しかしそんな時に、

こんな時だからこそ、祈りを込めてやりたい。
我々は人間である前に、僧侶です。

正確じゃないかもだけど、まあ、こんな感じの発言が、お坊さんサイドから出た。

この言葉、常識的には、めんどうな議論を呼びそうだけど、ドラマ作家としては、ズバッと胸に刺さったな。
宗教家には、こういう状況の時に、是非これぐらいの気持ちでいて頂きたいと思ったよ。

演劇人が『芝居は生命維持装置だから、今この時も堂々とやらせていただく』というようにな。

断っておくけど、我々は安全を無視しちゃいない。お坊さんたちだって、去年から続く大事な行事をいろいろ中止したり、法要をリモートに切り替えたりしているんだ。
ここで言うのは、気概の問題だよ。
てか、無謀は全く許されないんだ。歌舞伎座は、去年以来私がいろいろ関わって来た中でも、最も神経使って、徹底的に感染対策している場所だと思う。
それは日本を代表する演劇だと言う誇りと、お客様と出演者に年配の方が多いことも大きな理由だろうな。
ここは社会的な影響が大きすぎる。

で結果、最大の注意を払いつつも、新しいものを創って、上演することになった。
現在の歌舞伎座の興業スタイルに合わせた形で、
一幕物、一時間前後みたいな形でね。

大幅な規模縮小は残念ではある。しかし、その後、描きたいこと、描くべき事を一幕物として凝縮してゆく中で、私なりに大きな手応えを掴んでいて、
これはこれで良かったのだと、今は思っている。

それには、猿之助さんという傑物の存在がとても大きい。

ワンピース歌舞伎の時に、奈落で大事故が起きてしまい、猿之助さんは大けがを負われてしまった。演出家として、私は大きな責任を感じた。
その時に、ご本人が、

もしこれで身体が動かなくなったら、お坊さんになろうと思った、と語られた。

それはかなり真剣な発言であった。
ご本人は、その昔日蓮も十年以上そこに籠って、仏道を学んだ、仏教の東大ともいわれる比叡山、伝教大師・最澄の天台宗を信仰しておられる。
千日回峰の大阿闍梨との対談本も出されていて、仏教にかなり詳しいお方である。

日蓮の話が最初に出た時に、私は猿之助さんはこの企画を断られるのではないとかと思った。
日蓮は、後に比叡山の在り方も激しく非難して、訣別した宗教家なのだから。

でも、猿之助さんは、日蓮さんは、ひと度は違う方向を向いて道を分かち、天台の教えから離れたように見えても、実はこの精神の深いところを継承したとも考えられると仰って、
日蓮役を引き受けられたのだった。

実際、日蓮が至高の教典として、第一にコレを奉じるべきだと熱く主張した、妙法華経は、最澄が留学先の唐から持ち帰って、最も大切にしていたお経である。
日蓮も密教化した比叡山のことは激しく非難したけれど、最澄のことは終生、大事なことを伝えた人として敬っていた。

それは、一度はスーパー歌舞伎を否定したカタチで、三代目猿之助の下を離れた時期がありながら、今は誰よりもスーパー歌舞伎を発展させる立場となってその精神と芸を継承されている、ご自身の生き方を語られているかのようだった。

だから今回の舞台は、日蓮の生き方を描きつつも、どこかで四代目・猿之助の姿が、そこに被るものになっている。
その上で、猿之助さんの仏教に対する真摯な思いや素養とかが、ふかーく加わって、

まだ稽古の途中で、ほぼ代役のお弟子さんを立たせて、ご自身はたまにしかセリフを言わないのだけれど、その一言一言が、まるで本物の行者のように響いてくる。

たまたま今回は日蓮なのだけれど、宗派とか、神とか仏とか関係なく、こういう祈りの人が、今の世にも現れて、弱者救済をして欲しいと、思えて来る。

その声に、言葉の強さに、みんな諦めないで頑張って生きていこうね、という法華経の現世安穏の精神が満ち溢れていて、
芝居は本当に、生命維持装置になり得るんじゃないかと思えてくる。

彼の力で免疫力が本当に上がりそうだよ。

妙法華経は、生きなさいと言う教えなのだそうです。
生きて、この世を浄土にしようと、
今、仏教は、死んで極楽に行くためのものと、誤解されがちだ。
葬式とか、法事の時しか、お世話にならないものね、普通。
私も、父の葬式で、初めてお寺とがっつりお付き合いした。
あとは、観光で、お寺とか仏像見るぐらいでな。

しかし、そんな感じで死後にフォーカスし始めた仏教を、日蓮はもともとの釈迦の教えに戻さなきゃいかんという使命に燃えたのです。
釈迦はそもそも、死んで我らはどうなるんですか?という弟子の質問には、
ただ黙って答えなかった人ですからね。そんなこと考える必要なし、という答えなのだそうです。
そこには、我々も大いに共感しますからね。

この娑婆に、生きていてこその歌舞伎、演劇なんだからさ。

今、いろんなテレビとかで姿を見ない日のない猿之助さんだけど
ある意味、そういうシーンでは絶対に見られない
剝き出しの燃える魂みたいなものが、この舞台では見られるんじゃないかな。
自分が関わっていながら、そんなことも忘れて、
何だかすごいものになるんじゃないかと、今、私は予感に震えています。

それぐらい、猿之助はマジだよ。

こないだ、お坊さんたちのお題目を録音しがてら、
猿之助さんとマスコミ関係者の懇談会があったんだけど
そこで仏教関係の人がかなり専門的なことを聞いても、見事に専門的に答えてらしたからな。
挙句の果てに、仏教関係マスコミの記者が猿之助さんに

今この時、宗教家は何をすべきでしょう?と助言を求めた。まるでダライ・ラマに尋ねるみたいに。

そんなこと、知りませんよ!と猿之助さんは答えて、大笑いになってたけど。

まあ、そんな感じで……
我々フツ―の芝居者にはとても信じられない、短い稽古期間。歌舞伎座の美しい稽古場には、ビニールテープのバミリなんか全くなく、全員、浴衣姿で、なんとなくボヤーッと立ち位置を探りながら、まだうろ覚えのセリフを合わせる稽古。

以前、渡辺えりさんが歌舞伎座で、勘三郎さんの芝居に関わった時、そのアバウトにしか見えない稽古を見て、こんなの絶対大失敗すると思ったら、本番になって突然全員、別物になって、気が付いたら仕上がってしまってたという。
そんな歌舞伎的稽古が、ここでも着々と進行しています。

にしても、人生は不思議ですね。
宗教なんて、我が人生で真剣に向き合うことなんかないと、思ってきたのに
長生きするとね、こうして、お釈迦様がいったい何を考えてたんだろうとか、
歴史に残るお坊さんたちが、どうやって人を救おうと考えたのかとか
ちゃんと考える時間が与えられてる。

それで、人智を超えた大きな何かに、救いを求める祈りみたいなものが、けっこう切実に胸に迫ってきたりする。
このコロナの時代にね。
人の力では制御できない自然の力に対して、我ら人間がいかに向き合うべきか、
もちろん第一に頼りにするのは、科学の力だけどさ。
早くワクチンくれ!なんだがね。

祈りとか、芝居とか。
そこにも大きなパワーを感じるんだよ。

たぶん、それは自分が確実に死というものに近づいている実感もあるんだろうな。

どのみち死ぬんで、せっかく与えられたこの時間を、死んだように生きるのは嫌だな。

コロナ禍の自省期間は、自分の残り時間を数える時間でもあった気がする。


関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

アーカイブ