新作 解体青茶婆 のこと

今日はちょっと宣伝です。
新作 『解体青茶婆』のこと。

タイトルの意味がわかんなーい、と言う声も巷で聞くので。

そもそもは愛媛・坊ちゃん劇場で『げんない』というミュージカルを作った時、主人公の平賀源内の親友として、江戸の蘭方医、杉田玄白を登場させて、そこで色々調べるうちに、
玄白の著作『蘭学事始』のなかにあった、骨が原での腑分け見聞の記録に興味を持ったのだった。
ちなみに源内の墓碑には、玄白の追悼文が刻まれているぐらい、ふたりは懇意にしていたようです。
江戸の巨人ふたりがね……

青茶婆というのはその『蘭学事始』に記された、玄白たちの前で解剖された、大罪人の婆さんの名である。付け加えると、解剖したのは玄白たち医者ではなく、死体処理にたけた、刑場の従業員であった。もっといえば、その人たちは、その時代の被差別階級であった人々である。

玄白たちは、解剖したのではなく、解剖を見学したのだった。

その時、江戸の医者たちは解剖のやり方をまったく知らなかったのだ。
晒し首や、刑死体の処理などに携わっていた身分のない人々の方が、医者よりもはるかに人体に詳しかった。
玄白たちは、医者として自分たちの無知不明を強く恥じた。
玄白たちが、オランダの解剖図鑑『ターヘル・アナトミア』を何としても翻訳して、早く世に出さなきゃいけないと思った背景には、そんな事情もある。

そして世に出されたのが翻訳本『解体新書』だ。

今回のタイトルは、その『解体』と『青茶』のマリアージュである。

時は江戸、賄賂政治で知られた老中・田沼意次の好景気にして、浮ついた時代で、新しい学問はかなり容認されたが。
それでも表向きに、西洋の学問が許されたわけではない。
オランダ本の出版は、時代に挑んだ、命がけの大事業であった。

ミュージカル『げんない』の時にも、この腑分けには少し触れている。
誰よりも時代を見通す超人、平賀源内が、その意義を語るカタチで。
それは我が国の医学の発展の礎となる偉業であったと同時に、玄白たちはもう一つのことを明らかにしたのだ、と。

それは、人間は皆、同じだということ。

オランダ本に描かれた人体図は、オランダ人のものであって、日本人のそれとは全く違うと言う学者もいた時代。
しかし、オランダ本に描かれた解剖図と、青茶婆の内部は同じだった。
つまり、オランダ人も日本人も同じ。さらに言えば、大罪人も聖者も同じ。

そう言う意味で、玄白たちは精神の自由人、時代の革命児であったと私は思うのである。

その時腑分けに関わった人たちの名は、蘭学事始に、一度ずつしか出てこない。それでも被差別階級の人たち、腑分けされた大罪人の婆、それらの名をきちんと後世に残そうとした玄白、そして補綴したその弟子たちの思いには特別のものがあったと感じている。

実際、玄白はいろんなものに、人たるものに違いなし と何度も書き残している。

今回描くのは、その腑分けから44年が経った、玄白83歳の時、
半生の記、蘭学事始 の草稿を弟子たちに渡した、最晩年の辺りのこと。
玄白を演じる58歳の有馬自由には、この役は役者を続ける限り一生やり続けて、本当の老境に至った時に、名人と言われるように研鑽を積んでくれ、と伝えてある

さて
こんなことを細々言うと、何だか難しそうな芝居だなと感じる方もいるだろう。
解剖の話で、気味悪いと感じる方もおろう。
正直、そんなに愉快で楽しい話ではない。エンタテイメント性はかなり控えめ。
だから、広くお客さんを集められる作品だとは思っていない。

というか、そもそも、未だまん延防止なんちゃらが続く時、芝居見物文化は壊滅状態だ。
とにかく人が集まらない、劇場に行きたくても行けないと言う方も大勢いる。
今回の舞台は是非、医療従事者の方々に見て頂きたいが、
そんな場合じゃないしな。

だから、今、劇場に来て下さるのは、かなりの熱い思いを持った方々だと推察する。
ならば、こちらも熱い思いで応えたいと考えた。

いつもは芝居の楽しさを、広く伝えたいと言う願いを強く抱いて、作品作りをしているのだが、
今回、ここに来るお客さま方は、そんなことは十分に知った上で、
こんな時にこそ、劇場で過ごしたい、どっぶり芝居に浸りたいと思って、家族の反対も押し切って劇場に来られるのだろうと勝手に想定し、
今、扉座で出来る範囲の、ストレートな演劇 をお届けよう、この際、振り切ってしまおうと、こちらも覚悟を決めたのである。

そして今回
かの新日フィルと提携して、一流のバイオリニストを派遣頂き、生演奏をして頂くことになった。
新日フィルと扉座に何の接点があるかと言うと、ともに墨田区に拠点を構えていると言うこと。昨年、扉座はコロナ禍によって飯田橋の事務所を閉めて、会社登記も墨田区に移した。
だが、この災い転じて、同じ墨田区の文化団体と言うことになる、新日フィル様とご縁が生じて、今回のコラボが実現したのである。

また昨年末にやった『お伽の棺』のように、蝋燭の生の炎を照明とする演出も行う。
今回は100パーセントではなく、照明器具も使って、蝋燭照明の新たな可能性を追求してみたいと思っている。
これはきっと美しい。

ロウソクにこだわったのは、玄白たちの時代に思いを馳せたからである。
電気のない時代に、小さな火を灯して、読めないオランダ語と格闘した人たち。
治せぬ病と向き合い、何とか治療法を探そうと、学び、研究した人たち。
その人々が見た、江戸の夜の景色を再現したかった。

コロナの時期だから、尚更に、遠き昔の彼らの情熱とか、思いが胸に迫って来る。

今日、ここで宣伝したのは、一つにはまだまだ客席が空いているから。
厚木は客席制限もあって、キャンセル待ちですが
座高円寺での東京公演が、まだまだ余裕ありまくりです。

もちろん、この時期に敢えてやるので、そんなこたぁ覚悟のうえで、上演できれば、それで幸いといえる状況だけど
それでも、こうして精魂込めて書き上げて、稽古して、仕上がりの時を迎えてみれば、
やっぱり日に日に、ひとりでも多くの方に見て頂きたい気持ちが膨らんで、少しでも興味を持っていただけたならと思い、言わずもがなのネタバレまでしています。

これが何よりの理由。
やっぱり見て欲しくなった。まあ、いつもそうだけど……

とはいえ、どうか、皆様、ご無理はなさらないでください。
各劇場の感染対策に沿って、最大限の努力をして、皆様を安全にお迎えする所存でありますが、行き来のリスクも考えたら、100パーセントはありません。

たぶん、本作は劇団の代表作の一つになると思うので、また再演の機会もあるでしょう。

とにかく、劇場でまた、お会いできる時まで、皆様、どうぞお元気で。

そしてもし余裕があれば、扉座が新作やるよと、ご家族、お知り合いに広めて頂けましたら、これに上越す幸せはござりまぬ。

千秋楽まで、無事に上演できることを祈りつつ……


秋からは、40周年モード全開で、劇場の歓びを堪能したいと、切に願います。


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