成熟を拒む

 稽古場での稽古を終えて、小屋入り。まずは、厚木市文化会館で5日に公演。
 その後新宿紀伊國屋ホール、7日~19日、公演が続く。

 (※厚木公演はとりあえず満席です。ぜひ新宿にお越しください!)

 厚木高校演劇部を母体とする我々にとって、今回の厚木市文化会館が特別なのは当然のことながら。紀伊國屋ホール公演にも大いに拘りを持っている。

 そもそもホテカルの初演は、紀伊國屋ホールだった。評判になり、すぐに再演を決めたが、この時は紀伊國屋が取れず、サンモールでの公演になった。

 劇中、演劇部の先輩が、主人公である、名前だけ演劇部員・横山健一を観劇に誘う。
 つかこうへいの「熱海殺人事件」。
 紀伊國屋ホールでの公演を厚木から観に行くのだ。健一君は、それを見て演劇に夢中になることとなる。

 登場人物たちが、紀伊國屋の舞台で、紀伊國屋ホールの話をする。
 新宿の紀伊国屋ホールに行こうと誘う。

 私戯曲・実録演劇の馬鹿馬鹿しくも不思議な面白さ。
 変な夢を見ているようだった。

 再演となったサンモール公演の出来は決して悪くなかったけれど、鰻に例えるにならば、山椒がない、そんな一味足りない無念が残った。

劇中で少しだけ、熱海 も再現するが、実際にそれが上演されていた小屋だから説得力が違う。ついでに言えば、健一君を観劇に誘う役は初演以来、私自身がずっと勤めて来た。
 今回も詰襟を着て出演する。私が私を誘うのだ。

 前2回の公演では、私の登場シーンはろくに稽古もせず、遊び半分でやっていたが、ホテカルは今回を持って永久封印することを決めているので、本気で稽古した。
 私が、芝居にのめり込む、そのキッカケとなる記念日のシーン。
 私の稽古は、六角精児が毎日見てくれた。

 岡森諦に至っては、岡本宣也君と言う青年期の自分を演じる。
 それが還暦記念。
 もちろん私が書いた創作ではあるが、実話に則した部分がかなりある。
 
 本人はこんな奴はいないよォ、と主張しているが、彼を知ってる者たちは抱腹絶倒しているから、あながちデタラメでもない。
 常識的にはいないはずの、こんな奴が実際いたからこそ、岡森諦は岡森諦なのだ。

 そして今もまだ衰えを知らず、パワー全開にして、己れの高校時代を伸び伸び演じる還暦・暴君。
 身内ながら、天晴れと思う。

 それやこれやで、奇跡的なことだと思うのである。
 特別の思いがある舞台の上で、生身の人間たちの40年間が交差して、虚実の見境の付かぬ、今ここだけの祭りが生まれる。
 こんなことが現実にあるものかね。

 生前、蜷川幸雄さんと打ち合わせをしていた時、このホテカルの話になって、蜷川さんが。

 あのズルい芝居な。

 と言った。ゼロから始まるべき深淵なる創造行為を放棄して、自分たちをネタにして、ズルいと言えば、その通り。
 でも、これは私たちにしか出来ない舞台。世にも稀なる見世物だと、我々は開き直ってる。
こんな歳になって更にズルい手を駆使し、有り得ない超幻想をお見せようと企んでいる。
 誰にも真似の出来ないこと。

 今回やってみて、一つ、みつけたことがある。

 これからの私の求めるべきテーマ。

 それは成熟を拒むということ。『ホテル・カリフォルニア』は奔放にして混沌とした芝居である。発想も中身も。若者たちの混沌を、混沌のままに描いている。

 でも、その混沌こそが愛おしい。

 このひと月、毎日、この芝居と向き合って、幾度も魂を、あらぬ方向に持って行かれた。
 混沌の渦に巻き込まれて、整理できない感情に襲われた。
 
 混沌を描く、
 それは簡単なようで難しく、マニュアルや方法論ではとても太刀打ちできない。
 
 知識と経験を積み重ねてゆくと、いろんなことが自然に整理できるようになるものだ。
 人は誰もその境地を目指して、人生を生きる。
 
加えて言うなら、実は見事に整理してしまう、その能力こそ、私の飯の種だ。その能力があるから、仕事になる。

 しかし、底知れぬ混沌の魅力に触れた時、整理が付いてしまう世界は、どこか味気ないものだ。
 
 良い歳して、みんなで詰襟、セーラー服着て、バッカじゃなかろか。
 誰よりも自分がそう思いつつ

 未だ混沌にして、道定まらず、右往左往し、成熟のカケラも見えない。
 
今はむしろ、ここに何かの鉱脈、輝きを感じるのである。

 雑に言ってしまえば、その正体こそ、青春なのだろう。

 けれど、その言葉さえ、及ばぬ、更なる永遠の混沌の中の、悪あがき。
 整理の付かぬ、世界。
 そこに身を投じ続けて、もはや前進しているのか後退しているのか分からぬ状態で、それでもまだもがいて、混沌と向き合う。

 経験と知識が更に重なるこれから先に、もしそれがかなったら、ステキだな思うのだ。
 うっかりすると成熟してしまいそうな、今だからこそ。

 若い頃は成熟を求めていた。もう若くなくなって、求める物を反転させる。
 

 青春に後悔のない人なんかいませんよ。

 何か全く違う作品の打ち合わせでスタッフがふと漏らした、その一言。それを聞いて、トイレに立って、放尿している時に、何かを掴んだ。
大げさに言えば神の啓示を受けた。
ホテカルの構想が、嘘ではなく、放尿の間に出来上がった。
その瞬間は今も鮮明に覚えている。どこか高級なレストランの、間接照明的な薄暗いトイレに私は立っていた。
たぶん少し酔っていた。
 小便しつつ、ふと、自分で呟いた。

 お前には描くべきことがある、と。

 その時、劇中に出て来る、今はもう会えない、同級生がそこに来て、私の肩でも叩いたのだろうか。
私はセリフみたいに、そう呟いていた。

 そうして間もなく、もう会えない彼が、22年ぶりに舞台に現れる。

 厚木市文化会館大ホールに。
 そして新宿紀伊國屋ホールに。
 
 私たちに、もう一度、あの混沌に帰って来いよ、と誘いながら。


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