2023年の終わりに

 2023年は忘れられぬ年になった。
 たくさん芝居を作った。どれも全力を尽くしてやりがいのある仕事、活動になった。
 書いているか、打ち合わせしているか、稽古しているか。或いは、それが重なっているか。そんな日が切れ目なく続いた。
 くたびれ果てたけど、芝居者として幸せだった。

 一方で、途方もなく辛いことがあった。恩師・猿翁の逝去と、四代目の哀しい出来事と。
 死別は、不可避のことである。
 静かに受け入れて、これからも思い出を語り綴ってゆこうと思う。(『わが師に捧ぐ』は続けます)

 が、もう一つの突然の離別については、今もって尚、なぜそんなことになってしまったのか、それを避ける手立てはなかったのか、その前に何か自分にも出来たことがあったのではないか、悔やみきれない無念の思いが残っている。

 仲間として。少し年上の同志として。

 あの出来事の後、さまざま取材を申し込まれたが、それはすべて辞退した。言いたいことはたくさんあった。しかし、私が語りたいのはあくまでも仲間としての言葉であり、同門の身内の思いである。それはまだ公に望まれていないと直感した。
 あの頃マスコミが求めていたのは、汚れた偶像を正義の名の下で厳しく裁き、更に木っ端みじんにすることだった。
 身内が発する、擁護の思い、彼への慈悲を求める言葉はむしろ、反感や炎上を呼ぶものだった。

 でも
 この件について、私は冷静にバランスを保って語ることは、おそらく一生出来ないだろう。
 
 だって彼は私にとって、とても大事な人だから。
 私が語りたかったのは、仲間として如何に彼を庇うかという気持ちだった。
 たとえそれが社会正義に反することであっても、彼を叩くことを一切したくなかった。
 後に裁判で語られたことを知って、更にその思いが深まった。
 そこまで彼を孤独にさせてしまっていた、という後悔だ。
 全身全霊、命を削って、作品を創り上げるという共同作業を、何度も共にしてきた者として。

 孤独であったという告白は、胸に刺さった。

 人並み超えて聡明にしてプライドの高い人だから、孤高であることを宿命として進んで受け入れているように見えた。そこに彼の矜持やある種の陶酔があるとも感じていた。実際かなり親しい者たちにも、彼が弱音を吐くことはなかった気がする。
 断崖に独りで立って強風に晒される、そんな唯我独尊の境地を楽しんでいるとさえ見えた。
 だから、たとえ何かに気づいたとしても、私ごとき凡人にいったい何が出来ただろうか、という無力感は大きい。
 それでも、彼が常に振りまいていた明るさや強気の奥に、冷ややかに横たわっていたであろう、深い哀しみや寂しさに、もう少し敏感に私の神経が反応していれば、長く続いた幾つかの共同作業の過程において、秘められた孤独にもっと近づくことが出来たかもしれない、と思うのだ。
 
 彼は特別な人なのだ。超人なのだ。
 私の精神は、冷静に考えれば馬鹿げている荒唐無稽の結論に安易に留まり、それ以上の思考を停止させていた。
 人の心を掴むべき芝居書きとして、恥ずかしい。

 有罪判決が出た以上、彼はその罪を償う必要がある。
 そこに異論はないし、そこには途方もない時間と葛藤、苦悩が注がれてゆくことも当然のことだと思う。
 仲間であっても、そこは厳粛に判断したい。
 時間はかかるだろうし、かけるべきだ。

 ただ、これだけは言っておきたい。
 2023年の誓いである。

 それでも私は、
 この天才の復活を強く望む。
 彼と共にまた、新しい舞台作品を創る日が来ることを願う。
 そのために出来る限りのことはしようと思う。

 その時、彼はもう孤高ではないだろう。
 しかし、だからこそ今までとは異なる新たな境地に至って、今までの仕事を凌駕するような創作と表現を成し遂げるに違いない、私はそう信じる。
 その時が来たら、次こそは深く胸襟を開いて、今まで以上に魂を強く擦り合わせて、芝居を人生を命を語り合い、表現活動の限界に挑むつもりだ。

 お前は罪に対する意識が甘すぎる、というお叱りをSNSで受けた。
 四代目を擁護するような呟きを発した時だ。

 その批判は甘んじて受けたいと思う。
 私はきっと正しくない。
 けれど、私の立場も語っておく。

 亡くなられた段四郎ご夫妻には、生前とても親切にして頂いて、御恩がある。
 穏やかで、優しい方たちだった。
 それほど親密にしていたわけではないが、折々にお会いし、稽古場で、劇場で、間近に接していて一度たりとも厭な気持になることのない人たちだった。
 結局最後の舞台となってしまった『スーパー歌舞伎Ⅱワンピース』で、段四郎さんを是非この舞台に立たせたいという四代目の言葉を受け、大喜びで新たな役の登場シーンもセリフも書かせて頂いた。
 「全部は出られないかもだけど、考えてくれます?」
 そんなことは関係なかった。そういう四代目の思いが胸に響いて、たとえ一回限りの為でも構わないと思った。
 結局体調を崩されて3回ぐらいしか、演舞場の舞台に立たれなかったけれど、その舞台で久々の親子共演が叶った姿に、私は泣いた。
 この親子が、憎しみ合ったはずはない。
 きっと深い絆があったからこそ、あの日、どうしようもなく暗い絶望が一家に襲い掛かってしまったのだ。

 たまたま四代目の大学進学のお祝いの食事の席に、私は同席させて貰っていた。
 三代目と紫さんと、段四郎さんご夫婦と大学生になったばかりの亀治郎青年と。
 懐かしい、麻布のイタリアンの名店『クッチーナ』
 そこで陽気に熱く歌舞伎が語られ、映画が語られ、歴史や梅原哲学が語られていた。
 三代目も亀治郎青年も、御馳走を食べながらの硬派な議論を心から楽しんでいた。
 半ば置いてゆかれながらも、シャンパンとワインに酔ってふざけた茶々を入れる私たち。
 思い出すのは、幸福の笑顔ばかりだ。
 だからこそ、悲しみも深い。
 私は私なりにその悲しみを抱えている。心が痛い。ご夫妻の無念を慮る。
 それでも尚、四代目の甦りを願うのだ。そう願うことが、ご夫妻への供養にもなると信じて。三代目も望むことだと信じて。

 法は法であり。尊く重い。
 でも人の真情はそれで説明し尽くせるものじゃない。まして救いきれるものではない。
 だからこそ、この世には、法とは違うもっと複雑で重層的な言葉たちが必要で、
文学があり、詩があり、芝居が、人の人生に寄り添い続ける意味がそこにある。

 もう一つ、言わずもがなのことを言う。
 私がただ安全地帯にいて、無責任に良い人を気取り、優し気なことを言っているわけではないということを伝えておきたい。
 
 この件では、私も仕事上、大きな被害を被った立場である。
 今年の後半から来年にかけて、とても大きな仕事の予定があった。
 具体的に作業もスタートしていた。
 それだけでなく、その先にも他に予定されている仕事もあった。
 それがすべて消え去った。空けておいたスケジュールも無駄となった。
 雑に言えば突然の失業である。
 
 しかし私は彼を非難する気持ちを微塵も持っていない。
 まったく恨みもしていない。
 そこに嘘はなく、本当に仲間として、ただただ四代目の身を案じるばかりである。

 それだけの素晴らしい成果と思い出を、これまでの彼との仕事で貰って来たからだ。
 特に、スーパー歌舞伎については、三代目が半引退状態となって、
 もう二度と出来ないだろうと諦めていたところに、
 旧作の復活のみならず、また新たな創作にまで関わらせて頂いた、その幸福は何物にも代えがたいものだった。

 私はむしろこれだけの宝を貰っておきながら、肝心な時に、何の助けにもなれていない、
それが悔しくてならないのだ。
 だから、どうしても、もう一度チャンスが欲しい。
 今度は、他の仲間たちと共に、自分が支えとなりたい。再出発を助けたいと切に願う。

 繰り返して言う。
 時間はかかるだろう。それを覚悟する。
 
 でもその時が来るまで、私は生き延びようと決意する。
 その時、ちゃんと使い物になるように、この世界に芝居者として踏ん張っていようと決意する。

 皆様に、良き年が訪れますように。
 世界から愚かな争いが消えますように。
 私たちの愛する演劇が、更に美しく輝きますように。

 2023年、皆様の熱いご声援、そして温かな励ましに、感謝致します。
 この世の残酷さ、生きることの過酷さと共に、人の優しさも心に沁みた年でした。

 ありがとう、ありがとう、ありがとう!


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