ソウル物語 完結編

 オーディションの翌日、最終面接者をソウルのロッテホテルに呼び出した。
 
 ホテルで面接する、と言うと、支部長・金文光は、そんなところに呼び出したら、大変なことになります、と慌てふためいた。
 ホテルなんて!
 
 部屋じゃねーよ、ロビーラウンジだ。

 文光は、純情可憐な四十歳独身男性である。
 東京では、芸能系のミーティングを、よく大ホテルのラウンジなんかでやるんだよ。

 ここはわしらが、とてもちゃんした人たちだと言うことを見せるために、わざわざ泊まってもいない高級ホテルを、見栄はって使うんだよ。
 
 私と赤星は、午前中に止まっていた低級ホテルをチェックアウトすると、まずロッテのデパ地下で朝ご飯食べて、その後、ロッテデパートの免税店に行って、
 つまるところ日本ツーリストの王道コースを経て、

 約束より40分ほど早めにロビーに着いた。
 で、荷物抱えてラウンジを探していると、ロビーの真ん中のソファーで、一心に本を読んでいる女の子の姿が目に入った。

 別におかしなカッコウしているワケではない。
 ジーンズにブーツを履いて、黒髪を自然に下ろしている。
 ただ、そんなとこで、女の子が一人齧り付くように本を呼んでいる、その佇まいが、目立ったのだ。

 よく見ると、それは、キムナムヒーだった。

 おっ、もう来てるよ。
 声をかけようかと思いつつ、近くを通ったのだけど、まったくこちらに気付かない。
 私達としてもさまざま相談があったので、この時は、素通りしてとりあえずコーヒーを飲んだのだった。

 この時は、最終候補者の中からもう一人、呼び出していた。
 二人とも、事前に押さえていたわけでもないのに、昨日いきなり、会えるかと打診すると、何としても行きますと返事をくれていた。

 このオーディション、何かわしらが知らぬところで、妙に大きなものになっているようだった。
 とにかく参加者の意識が高く、熱い。
 それは現地で頑張ってくれている、文光や仁川の演劇協会の人たちの協力のお陰である。
 仁川では、新聞社が取材までしてくれ、わしの写真入りで紹介までしてくれた。

 文光が、ナムヒーに電話をかけた時、ナムヒーは、電話の向こうでウワー!と舞い上がり、発表だったら、ちょっと待って下さい、まだ準備が出来ていないのでと叫んだという。

 日本文化を愛し、ついでにちょっとロリ好きの文光は、なんか、その声が可愛かったんですよ、と言っていた。

 確かに、そんな反応も声も、オーディションの時の、変な頭で米袋を裂いた布を着込んだ彼女の姿からは、ちょっと想像が付かなかった。

 でも、この日の午後、ロビーで本を読んでいる彼女の姿を見て、私はちょっと安心していた。
 場違いな感じではあったけど、そこには現代のソウルに暮らす女の子がいたのだ。
 髪も今日は今時っぽかったし。

 本を読む横顔に、知的な可憐さが満ちていた。

 もう一人の候補は、韓国舞踊を大学で学んで、その後、モデルなどやりながら、演劇の方に進み出したという人だった。
 踊りの人らしい、すっと伸びた背筋と、エキゾチックで端正な顔立ちが印象的な美人だった。それでいて、どこか奥ゆかしい振る舞いが、心に残った。
 演技は未熟だけど、激情的に叫んでも気品が漂う人だった。

 ただ正直に言えば、ロビーで、ナムヒーの姿を見たその時、ああこの子にしようと、直感的に私は思ったのだと思う。

 一見ごく普通(よく見ると、可愛いんだけどね)のこの子が、昨日は何とも得体の知れない姿を我々に見せた。
 大丈夫か?と心配になってしまうぐらいの深い印象で。

 この子が、あんな風になってしまうその過程に、彼女の中でいったい何が生まれ、起きるのか、そのいろいろを間近で見てみたいという衝動に強く駆られたのである。

 ロビーの椅子に座り、紅茶を飲みつつ、私達の質問に答えるこの子は、経験不足で、自分をどう語ればいいのか、戸惑っているばかりの不器用な、若い駆け出しの女優であった。

 時には、質問に黙りこくって、長い沈黙が生まれてしまう。
 まあ、そうやって長く黙ってしまえるというのも、大物と言えば大物、変人といえば変人ではあるが、もはやそういうことさえ、イチイチ愉快に思えてしまう私達であった。

 私の質問に答えあぐねて生まれた沈黙の中、日本文化オタクの文光(彼は一時は漫画家でもあった)が、
 「北島マヤみたいですね」
 と呟いた。
 咄嗟にそんな名前が出てくる韓国人も凄いと思うが。
 
 そんな会話のアレコレの中で、彼女が言ったひと言が胸に響いた。
 「私は、今回、人生で2度目の勇気を出しました。芸術大学を受けた時以来の勇気です」
 
 それだけ真剣に取り組んでくれて、嬉しくない演出家はいないだろう。そしてそれが全く嘘でないことを、こちらも充分感じ取ったのだ。
 国境を越えて、言葉も通じない人である。
 まだお互いの仕事も実はよく知らない。

 それなのに、大事な何かを感じさせてくれる出会いがそこにあった。
 
 その後、もう一人の候補者とも面接をした。改めて会うと、この人も期待をもってヒロインを任せられる人だった。今でも、この人の芝居もぜひ見てみたいとは思っている。
 ただし今回の流れが、どうもこうも、ナムヒーに傾いていた。
 彼女に限らず他の実力者たちはアンラッキーだったと思う。
 しかし、これも運命だ。今日の風は、そんな風だった、ということだ。
 明日は風が変わるかも知れない。それを待て。もしくは呼び込め。
 それがこの仕事に生きる者の定めだ。

 それはともかく、冗談で赤星らと言い合った。
 きっとナムヒー、まだ帰らずにそこらでこの面接風景覗き見してるぜ。
 んで、俺たちの心が変わりそうに見えたら、ピストルでも撃ってくるぜ。

 ピストルはともかく、そこらにいたことは事実だった。

 そのあと、今回、劇中で使おうと思っている韓国の伝統音楽ソリの、歌い手の方とお会いして出演交渉した。
 (今までモンゴル民謡だった部分も、今回は変えます)

 金クン推薦の、これまた名門・梨花女子大で教鞭をとっておられるという名人の先生に、何としても出て頂こうと、お願いしたのだった。これまた凄い人なのだけど、こちらのご紹介はまた改めて後日。
 
 でまあ、諸条件難しい中、快くご協力頂けることになり、わしらは万歳(本場マンセー)しつつ、焼き肉でも食って帰ろうと言うことになった。

 もし、これから出てこられるならナムヒーに来て貰って、打ち合わせかたがた、お祝いしようということになった。
 そう簡単に会えないのだし。

 で、文光が電話をかけると、
 はたして彼女は、すぐ隣のロッテシネマにいた。
 映画を見ていたと言う。
 
 「映画の上映中でしょ?」
 「でもずっとケイタイ握りしめてました」

 今日の内に結果を知らせると言ってあったのである。
 
 「で、何の映画?面白かった?」
 「さあ、何を見たかまったく覚えていません」
 
 まあ、お隣とは言え、外国とのコラボレーションである。
 そんなに簡単にいくはずはなく、まだまだこれから何が起きるかは分からない。

 でも今のところ、4月の半ばからキムナムヒーは日本に来て、稽古に参加することになっている。

 韓国は5月、仁川と釜山の演劇祭に参加。
 その後、帰国公演になる。
 詳細はそのうち発表します。
 
 韓国レポートはひとまずこれにて。


 

 さて、その前に『トラオ』である。
 明日から、本格的な稽古に入る。
 
 今回は子供に見せたい芝居だ。そのために創る。
 で、皆さんにはお願い。

 この公演には、ぜひ、お近くの子供たちとかを連れてきて欲しいんだな。
 子供料金は5百円です!

 この『トラオ』は『トラオ』で、いろいろサプライズが仕掛けてあるんだけど、
 まあ、それもまたおいおいね。

 そうそう、今回の音楽はAUNにお願いしてあります。

 福岡の国文祭や、美浜のイベントで一緒にステージを創ってきた、和太鼓界のB’zというか、双子なので たっち というか。(でもイケメンです。ま、出演するワケじゃないから、たっち顔でも構わないんだけど……)

 子供の芝居と言っても、手を抜かず、また新境地にチャレンジしております。
 どうぞご期待下さい!

 
  


 

 
 
 



関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

アーカイブ