初日通信
韓国初日
いきなり仕込み日が消えたことは報告したとおり。でも、照明、音響を使わない舞台だし、美術家はこちらの人なんだから、と油断していたら、結局、公演当日の午前4時までかかった、らしい。私は降参して2時に帰った。
ジョンさんのデザインと、下請けが作った現物が全然違うものになっていたのが大きな原因。
もっとも、現場はそんなにパニクッた様子もなく、かなりのんびりしている。こちらでは徹夜仕込みなど日常茶飯で、当たり前のことらしい。で、怒鳴り合うわけでもなく、走る人もない。淡々と遅れる、そんな感じ。
我々日本人にはちょっと分からない感覚だ。こちらが焦って、どーすんだ、どーすんだ!と言い寄ると、
せっかちな者どもめ、と呆れられている気配。
で、明けて翌日、これは日本の舞台監督・小さな巨人・池チャンの仕切りにより、予定通りにサクサク場当たりをして、通し稽古を。
ジョンさんのモダンでシックな舞台美術が、ロウソクに浮かび上がると、とても神秘的である。ただし、今のも元のデザインとは違うので、釜山の前にもう一度、作り直させるからと説明を受ける。
作成過程でも細かくチェックを繰り返す日本式になれている我々には、これも分からない感覚だ。
赤星が、ちょっと遠出してパンとピザを買ってくる。皆、そろそろキムチ攻めに苦しみ始めている。韓国弁当はご辞退申すと、日本チームの泣きが入ったのであった。
そしていよいよ、本番を迎えることに。
開演間近、昼頃からナーバースになって、人と話さなくなっていたナムヒが、突然、叫んで踊り出す。
ついに狂ったか……
聞けば、大好きな大学の先生が、ソウルから見に来てくれる、とメッセージが入ったらしい。前回、ナムヒが入院してて会えなかった時、私もご挨拶しに行った先生だ。
先生が来てくれるの!
と大はしゃぎである。で、さっきまでの暗い顔はどこへやら鼻歌なんか歌い始めている。
普通、こんな時には、更にナーバスになるものだと思うが、これも異人の感覚か。
というよりきっとナムヒの固有感覚だろう。
だいたい前夜は、携帯が壊れたと騒いでいたのだ。携帯は直ったのか?
アレは充電切れでした。
最近は、ナムヒに何かあっても、我々もあんまり慌てふためかなくなって来た。
東京から、ぴあ(株)の本田さんが来てくれる。プライベートの旅行なのに、この初日を見て、「@ぴあ」で初日レポートしてくれるという。有り難き、我々の新たな歴史の証人である。ヤフーニュースで、検索すると、出ているはずです!
さて開演。
最大の心配は、お客さんが来るのかということだった。
我々の知名度という問題も大いにある。その上に、こんな場所まで本当に人が来てくるのか?
何しろ、駅から遠いし、なーんにもないのである。
他の劇団の公演を見ていて、限りなく不安が増した我々は、協会本部にまでご挨拶がてら、少しでも客席を埋めてくれるように、お願いに行ったのであるが。
皆さんはそんなことご心配なさらず、良い芝居をすることだけお考え下さい、とのことであった。
我々的には、良い芝居にするために、観客が居てくれなきゃ困るんだが……
偽っても仕方ないから、正直にご報告しよう。
たぶん集まった観客は五十人ぐらいだったと思われる。しかもその中に、あきらかにワケも分からず動員された小学生なんかも混じっている。
こちらに来て以来、公演が近づくに連れて、なんか協会の人が徐々に我々の側に寄ってこなくなって、それで心配になって、本部まで行ったのであるが、
やっぱり、思った通りであった。
公的資金で運営されて、客が入ろうが入るまいが、収入に大きな影響がない、こういう演劇祭の場合、往々にしてこういうことがある。
客が入らなくても、特に誰も困らない。実際、我々のギャラも、たとえ客が0でもちゃんと頂けるのだ。
だから客はいなくていいワケじゃない。
言葉が分からないのをいいことにいい加減な公演で世界を回る演劇祭ゴロみたいな団体は知らないが、我々は人に見て貰うために創ってるんだから。
もっともこれは韓国に限らず、日本でも何度も経験してきたことである。
こんなことだけ、同じでなくてもいいのに。
まあ、それも予測は出来たことであった。
そんなに甘いものじゃない。観客を呼ぶことの大変さは、誰よりも我々が知ってる。
『お伽の棺』はオーディションから話題になってるから、大丈夫なんて、地元・仁川の協会の人たちは言っていたけど……
極めて真面目で、真摯な演劇人たちである。雰囲気もとてものどかで温かい。
ただ、良くも悪くも、激戦地の人たちではないんだな。外国劇団の初日ぐらい、招待券バラまいて、埋めてしまえばいいのに。
まあ、あんな良いオーディションが出来て、ナムヒと出会えて、こんなこと面白いことが出来ているのだ。
不思議体験もさまざま含めて。感謝しなくては罰が当たる。
芝居は、良かった。
ナムヒがとても落ち着いていた。準備段階ではいろいろなことをやらかすが、本番はヤル。ここらも大器の片鱗だなと思う。先生が来るからと言って、ぶれることもなかったし。
犬飼も、崖っぷちからの生還で(人間としてのみならず、俳優としても)これにかける気迫が漲っていた。
岡森も、稽古では見せなかった、凄みを見せていた。しかもこのロウソクの中で、笑いまでとっていた。
三千代の登場では、子どもが怖がって親にすがりついていた。可哀相にこの子ども、その後も、最後まで舞台から目が離せなくなって固まっていた。
そりゃ、ロウソクの中の怪談だよな、子どもにとっては。
トラウマになるだろうな。すまん……
で、終演。
鳴り止まぬ拍手があったら、私も挨拶に出るから、と言っていたものの、そんな拍手はナシ。
予定のカーテンコールで、きちんと終了。
岡森の言うには、
「キョトンとしてたな……」
一人一人呼び止めて、どうでしたと聞くことも出来ず、こちらにはアンケートなんて風習もない。劇評でも出れば、分かるけど、たぶんこの調子では、劇評家なんか来ないだろうな。
ただ、終わって見知らぬ数人に語りかけられた。立ち話なので、よく分からぬが、良かったと言ってくれているのだろう。作家をやってると言う人もいた。
あと2日あるので、ご宣伝よろしく、とお願いした。
しかし、もはや東京においても他人の評価なんか気にしなくなって久しい我々である。その体質は、この異国の地に来ても、そんなに変わるものではなかった。感想は興味深いけど、それで一喜一憂はしない。
我々は我々を信じて創る。
そう言えば『お伽の棺』の初演の時のことを思い出した。
あの時も、客席は
「キョトンとしていた……」ように思う。
特に大きな拍手なんかなかったし。
明らかに戸惑っている観客も多かった。
良かったよ。と思わぬところで何度か言われて、ああ良かったんだ、と認識したのは、上演を終えてしばらくしてからだ。
井上ひさしさんが、劇作家協会の集まりを終えて、駅まで歩いている時に、ふいに話しかけてきて下さり、
「読みました。面白かったです……」
と誉めて下さったのも、テアトロに載ってからかなり経ってからである。
終演後、近くの食堂で、宴会を。
カモの薬膳煮を頂く。
ナムヒのプロデビューと、ムーニィの演劇界デビューの記念すべき日である。
寂しい客席だったけど、デビューはこれぐらいの方がいいんだ。レベルは高いが、盛り上がりは低い。世の中には、これとは逆なことが極めて多いが、そんなデビューほど不幸なことはないんだから。
ムーニィが日韓対訳台本が五冊売れました、と嬉しそうに報告してきた。
おお、10人に1人が買ってくれたんじゃないか。
それやこれやで、初日は終了。
せめて東京の初日と、厚木の最終公演は、大盛り上がりでやりたいな。
劇団員とお客様、お願いしますよ。
我が扉座の威信を懸けて!
こちらは、韓国でしっかり見せてくるから。