大切なことを語ろう
本日は、劇場での打ち合わせ。
その後、釜山のグループの公演とそのあとパンソリ公演を聴く。
パンソリの演者は何たることか、福岡の国文祭でお世話になった釜山芸術大学の 姜先生の奥様だった。
釜山から7人の若者を、飛梅組に送り込んで下さった方だ。
国文祭ウルルン滞在記みたいなことをやったのである。
7人は皆、卒業しているが、中のひとりはソウルのコメディグループに入り、大人気になっているという。
その後、キョンソン大学の演劇祭サロンで、ロシアのグループと乾杯した。
さて、報告はこれぐらい。
今夜(土曜深夜)は、ちょっと真面目に。
今、犬飼の人相が変わっている。
この稽古に入ってから、アルコールを一切口にせず、ご飯類も食べていない。
雪に埋もれた村の若者・善治の役作りのため、ダイエットしているのである。
断酒の方は、昨年末、私と相談して、敢行している。
『ドリル魂』の突然交代には、酒が少なからず絡んでいる。酔っていなければ、避けられた事故かもしれなかった。
もともと飲み出したら止まらないタイプで、小さな失敗も繰り返していたのである。
で、
今回、この大役で復帰することになった。
そもそもここ数年の成長ぶりに感心し、さらに期待して、大きな役を振った『ドリル魂』であった。
だから、
期待は変わらないのであるが、
あんなことがあった後なので、本人も心機一転の気持ちが強いのだと思う。
別に私が痩せろと言ったわけではない。
本人が自分でやり始めた。
結果、10?ぐらい落ちているのではないだろうか。
そして、
今回の芝居。
昨日日記に書いた、千秋楽の夜。
私は初めて、犬飼に感想を洩らした。
今回の、お前は かなり良い。
繊細な男なのである。気が弱いと言ってもいい。
それが、普段は無頼を気取っている。
酒の力で、気分を支えている。
アルコールが入らないと、酒場でも、いるのかいないのか分からなくなるような男である。
だから今回は、稽古が終わると、まったく存在が消えているに等しかった。
酒席の端っこで、サイダーなんか啜りつつ、何も語らず、ただ人の話を聞いている。
けれど、そのエネルギーが唯一、舞台上でだけ、噴出している。
日常の発散がない分、今までの犬飼では見たこともないような、光が放たれている。
まだ、始まったばかりで、こんなに誉めてはいけないんだけど、
扉座のお客様たちには、どうしてもそれをお知らせしたくて、恥ずかしながら、ここに書いた。
去年の秋の事故は、命の生死もさることながら、俳優としての命の危機でもあった。
酔って喧嘩したとか、そういうことでなく、本当に事故ではあるんだけど、
本人にもう少し自覚があれば、たぶんそれは避けられた事故だった。
だからこそ、我々も情けなくて、犬飼をなじったのだ。
飲み過ぎるなよ、と何度も言っていたのだ。
その度に、
この繊細な男が、酒の勢いで無頼を気取り、
大丈夫大丈夫!と
コップの焼酎を飲み干して見せていた。
それはそれでカッコ良いとおだてる人もいたし、本人も気分が良かったのかもしれないけど。
そんな犬飼がすっかり生まれ変わった。
ある意味、本当に俳優になる道を歩き始めた。
彼が今までやって来たのは、演劇村の住人になるための活動であり、
実は、
作品のため、観客のために、生きる活動ではなかった、とのだと私は思う。
演劇村の住人ぶりを見せつける俳優の有様を喜ぶ人々も、観客の中に確かにいるから、
それはそれでダメとは言えないんだけど、
私は、
そんなのは偽りだと思っている。
酒を飲まなきゃ語れない演劇論は信じない。
芝居を始めた頃から、それは一貫して貫いて来た思想なのである。
自分が酒に弱いからと言う理由も大きいのだけど、
知れば知るほど、演劇村の人たちは、繊細すぎるのだ。その反動で、酒の力で勢いを付けて、粗野なフリをして暴れたりする。
でもそれは、マイナーなんだよ。
悪いけど。
俳優への道は、そんな遠回りしなくても、一本真っ直ぐに大きな山の頂上へと続いている。
それは何か。
ただひたすらに、その役のために身を尽くすことだ。
自分を消して、役に生きることだ。
今、舞台の上でしか、生きていないかのような犬飼。
しかし、それこそ、本物の俳優の姿なのだと思う。
今の犬飼は、どんな人にも自信を持って薦められる。
特に『ドリル魂』で、ご心配下さった方には、ぜひ、ご覧頂きたい。
本当なら、お詫びも込めて、ご招待しなきゃいけないところなのだが、
チケット代以上のものはあると、お約束致します。
愚かで不器用だけど、やっと進むべき道をみつけた一人の俳優の、命賭けの挑戦をどうか見届けて下さい。