薄氷を踏みつつ……
昨夜帰国して、今夜はもう公演。
しかも、またまた別世界のような条件での公演。
ホームに帰ったからといって、芝居の神様は、決して優しくなかった。
我々の公演場所(UMU)の隣の多目的広場(管轄が別組織なのです)において、我々の開演時間に大音響が発せられることが今日になって判明。
昼間、あちらの音出しが始まると、少なからぬ影響があることが分かった。
で、音の遮蔽を試みたり、いろいろやったが、どうにも対処方法がなく、向こうの音出しが終わる時間まで、開演を押すことを悩んだ末に決定した。
あと、稽古で、空調がロウソクの炎を激しく揺らしてしまうことも分かった。
で、場内が暑くならないことを神様に祈りつつ、ギリギリまで空調を停止させて頂く決心もする。
どちらもお客様には、大変ご迷惑をおかけすることで心苦しい限り。
しかし、この芝居は、何があってもいい加減に上演したくなかった。
さまざまなご迷惑も、舞台を見ていただければ、必ずや納得して頂ける。
そう信じて、決断をした。
それでも、観劇後の予定が狂われたり、暑苦しさを感じて、ご不快な思いをされたお客様もおられると思います。
大変申し訳ありませんでした。
いろんな不手際、心からお詫び申し上げます。
ところで
今夜の芝居は、
かなり良かったと思う。
なんか、異様な妖気が漂うような、瞬間が何度かあったと思う。
これは稽古場からずーっと見続けてきた、ムーニィも言っていた。
今日のは良かったですよね、と。
仁川と釜山の公演を終え、役者たちが、芝居を手の中に掴み始めているというのも理由だと思う。
日本の初日だから、気合いも入りまくっていたし。
しかし思うに、そもそもの、言葉が人に届く速度の問題というものもあるのではないだろうか。
発せられた時に、同時に受け取られる、言葉のダイナミズムが、当たり前だけど母国語の環境の中で生きていたと思う。
一部韓国語でやっているけど、ほとんどは日本語である。
で、今までは、それを字幕で見ている人がほとんどだった。
それが今日は、ほとんど瞬間で受け取られる。
韓国語には字幕がないので、
善治と同じように、
ほとんど、????状態で、ニュアンスとか、表情などで中味を推測してゆくしかない。
でも、それも瞬間のコミュニケーションに変わりはない。
向こうと同じシステムで、パワーポイントなんか使って韓国語の字幕を出すのは簡単だけど、私が稽古場でずっと見てて、ない方が面白いと判断したのである。
で実際、字幕がない分、観客にとって、??? なことが多々ありつつも、送信と受信の合間に、夾雑物がない分、ダイリクトに、何かが伝わっていると思った。
にしても、
言葉が通じるというのは、つくづく偉大なことである。
そして通じていることで、劇場に明らかに、ドラマの渦が自然発生的に生じてゆく。
これは、同じ芝居を国外と国内で上演してみて、今夜、私なりに分かったことだ。
私は日本語で書いている。だから日本語の通じる人たちが大勢いてくれなきゃ困る。
日本語は大事だ!
そんな当たり前のことを、再発見したのだった。
明日もまた、薄氷を踏む試練が続く。
でも始まれば、たちまち終わる短い公演だ。
この薄氷を見事、渡りきってご覧に入れます。
