思い出の、8月がおわり……
8月31日は、新・水滸伝 の千秋楽だった。
1日に稽古始めで、晦日で楽である。
なんという、怒濤の公演。
とにかく、ここに経緯を書き込む余裕もないほど、大変だったので、最後の時ぐらいは、銀座に駆け付けたいと思いつつも、
厚木の方も、最後の追い込みで、特に、市民が大勢参加出来る日曜日だったので、
厚木を優先。
銀座では、猿之助さんが来て、カーテンコールの舞台に立たれた。
身内が代わりに見に行ってくれて、すごい盛り上がりで、オールスタンディングだったと知らせてくれた。
その後、幕の下りた舞台で、猿之助さんから一座を集めてのお話しがあったそうな。
そこで、私、猿之助さんより『演出賞!』というのを頂きました。
他に、数名、座内から今回の活躍に対して、師匠から、賞が出たとのこと。
もっとも面白いのは、最後には、選考委員の猿之助さんから、猿之助に対して、『自画自賛賞!』というのが授与されたという話。
最初の頃はどうなることかと思って、極めてハラハラしたけど、よくここまでまとめあげた、猿之助エライ!ということらしい。
ご機嫌でした、と噂が届く。
猿之助さん、更にご回復の様子である。
一方、厚木では、その頃、通し稽古に取り組んでいた。
163人の市民出演者に加えて、超多忙のアーティストたちも参加する舞台。
創ってきたワシらでさえ、その全貌を掴むことが困難で、
そもそもトータル何時間の演し物なのか、さえ、あやふやな状態だった。
それを代役とか絡めつつ、実際の大ホールを使っての、通し稽古。
するとこれが奇跡的に、何とか通った。
ざっと見て、1時間50分、延びてもまあ、カーテンコールまで含めて2時間、というところか。
ちょっと予定より長いんだけど、
簡単にカットもできないのが、市民劇。
まあ、163人のパワーを、舞台に炸裂させるには、これぐらいはかかるということであろう。
2時間、お客を退屈させないって、これはホントに大変なことだけど、
やるしかねえべ。
ともあれ、少し、全体が見えて、ワシは安心した。
もちろん混乱とミスは山ほどあるから、気を抜くところではないんだけどね。
それにしても市民の人たち、よくやってます。
こっちはこれが仕事だけど、
みなは、それぞれ他に大事な、やるへきことを抱えつつですからね。
その裏にはそれを支えてくれてる家族や、仲間たちも、たくさんいるのだろうし。
そんなたくさんの熱い、思いが詰まった、大舞台である。
どうか、
事故なく上手く行って欲しい、と
通しの後、演劇の神様に、祈りつつ缶コーヒーを飲んでいたら。
演劇の神様の、弟子、右近さんから、お礼の電話が。
先日、劇場に行ったとき、私の顔を見て、戦友に再会した感じ、と言ってくれた。
実際に、困難に立ち向かうとき、本当に頼りになる熱い男なんだが、その電話では、
今回は 横内さんのオトコギを感じましたよ、
と言ってくれた。
そんな大層なものはワシにはなくて、ただ、今まで猿之助さんと、おもだかの一座に言葉では出来ないぐらい、お世話になってきて、
そして今、猿之助さんが、また創作活動を再開されようという時に、自分に出来ることなら何でもやると決心して、
何よりも、また猿之助さんと、芝居創りがしたいという気持ちだけで取り組んだのだった。
そのために、どんなに大変になっても今回は泣き言をいわず、文句も言わないと自分に言い聞かせたのだった
だから、日記も控えたのである。
つい、泣き言や弱音を書いてしまいそうだったから。
しかしその思いが、報われた。
右近さんの友情に、こちらこそ感謝。
長い付き合いだけど、師匠抜きの場で、こんだけ差しで向き合って、芝居創りをしたのは初めてだった。てか、ワシ、演出として関わるのも初めてだったからな。
右近さんに限らず、21世紀歌舞伎組とは、今回、新しい絆を結んだのだった。
その後、
神様にお礼の電話を。
文化会館の駐車場から。
今日の舞台は、お客もとても良くて、素晴らしく盛り上がっていましたよ。お見せしたかった。
と言って下さいました。
まこと、そこにいられなくて残念!
でも、そういう舞台をワシ、今度の土日、厚木で見られるはず。
きっと。
返す返すも、その場に居たかった。
