忘れられない夏
2008年の夏を、私は忘れない。
『新・水滸伝』から、『リバーソング』までの大冒険。
そのどちらにも関わった、高木が昨日の打ち上げで、
「横内さん、お疲れ様でした。ホント、頭から煙、出てましたよね」
って、
何か私の苦労を労ってくれてるつもりらしいのだが、アタマからケムリ、って。
それはどうなんだ?
しかしまあ、事実ではある。
それでなくとも、限りなく暑く、じめじめとした夏だった。
そのアタマから煙りもついに、秋になって千秋楽を迎え、
ついに眼から、涙に、替わった。
みなが泣くと、分かっているし、ワシとしては、それを小狡く計算に入れて、
利用もしているのが、市民参加イベントなのではあるが、
昨夜は、
子ども達の、涙に やられましたなあ。
小学生低学年の、女の子、男の子までが、ボロボロ涙を流して泣いていた。
大人たちと一緒に抱き合ったりして。
今回は、良くも悪くも、たくさんの子ども達の存在が、
作品の鍵になっていた。
で、
我が扉座の手勢たちは、その子ども達に、芸を仕込むのに、悪戦苦闘をしたのであるが、
その苦労は大いに報われた、と私は思う。
踊りも歌も、微妙にバラバラなんだけど、
それでいて、ちゃんと規律があり、不思議な一体感を持っていた。
それは全体主義的な、統一感とはまったく違う、のびのびとした、子どもの姿で、
ワシはそれを世界に誇りたいと思った。
そして、将軍様に誉められて泣くのではなく、
観客の拍手を浴び、この舞台が終わり、仲間達と別れるのが辛いと泣く。
みんな、めざましい成長をした、とワシは信じる。
そして本物のキョンキョンから、「夢をかなえちゃいなよ!」と励まされる厚木のダンス少女たちのシーンや、
初代ピーターパンの郁恵さんがたくさんのピーターパン達とともに語る、ネバーランドの冒険についての美しい物語のシーンなど、
この厚木でなくては絶対無理なキャスティングと設定の上に、市民参加でなくちゃ出来ない、純朴な子どもたちのシーン(東京の子役とかでは、あの味わいは出ないと思う)
は、
まさに一期一会の、奇跡みたいな、美しいシーンになったと思う。
これは値段がつけられないよ。
見たお客さんは、この幸運を噛み締めて欲しいと思う。
創っていた私が、心の底から、これは凄いなあ、と思い、見るたびに、胸が熱くなるシーンであった。
生きていると、こういう幸運に、巡り合うことがあるんだなあ、しみじみ思った。
終わって、客席から楽屋に行ってみると、
榊原さんと小泉さん、そして他の出演者たちが、遠い楽屋に戻って行く、市民出演者たち、一人一人に拍手を送り、狭い廊下で立ったまま見送ってくれていた。
そのとびきり豪華な、ご褒美の拍手に包まれて、涙と笑顔で通り過ぎていく、出演者たち。
もちろん、ワシも慌てて拍手に加わったが、
涙を堪えるのが大変だった。
まあ別に泣いてもいいんだが、
こんなことでイチイチ泣いていられるか、と
それは、精一杯の演出家の威厳であった。
全部終わって、文化会館の灯が落ちても、
出演者の数人は、立ち去りがたく、別れがたく、いつまでもたむろっていたという。
私達は、応援団の方々と打ち上げに行ったが、
もう十数年、繰り返してきた、扉座の厚木公演の打ち上げとは、また違う、新たな感慨に浸る、打ち上げだった。
それは我々のやって来たことが、ちょっと未来に向けて、走り出したという手応えというか、
また新しい夢が、ここから始まりそうな予感というか。
あの子ども達が、これから先、きっと何かやってくれる、
と、私にはそう思えた。
みんな、おつかれさま!
さて、そして現実に……
夢の幕が下りれば、
また課題と、宿題が、山のように待ち構えていた。
またアタマから、ケムリの日々の始まりではある。