マキノ氏である

 昨日の日記に、コメントを付けてくれたのは、マキノ氏である。
 今月号の 悲劇喜劇 が巨匠の特集号になっている。

 演劇雑誌で個人特集ですよ。死んでもないのに。
 そこに一文を進呈した訳であるが、当然、一文寄稿側ではなく、特集され側に、私もなりたい。
 
 特に今、演劇とマジに戦って、くたびれているので、なんでオレじゃねえんだよ、と強くジェラシーを感じる私であった。
 
 まあ、こんなこと三十代までは、素直に書けなかった。
 書いたとしても、悲劇喜劇なんかそんな雑誌の存在を誰も知らないだろう、みたいに毒を付け加えたりしたものだ。
 んで案の定、結局、こうして言わずもがなの毒をつけた。

 もっとも、素直さは、かなり違ってきている。
 嫉妬も長続きせず、すぐ忘れるし。

 昔は、執念深く覚えてたもんだけどな。
 あの時は、あいつに先を越された、みたいなこと。

 今も戦ってるんだけど、こんなことかれこれ三十年続けてきているので、負けにも嫉妬にもなれてきているのである。

 で、そんなことで己のフォームが崩れることが一番イカンと、悟っている。人の活躍とか、批評とか、そういうことにイチイチぶれずに、今目の前にある自分の仕事を、自分のやり方でコツコツやるのが正しい道だと。

 たぶん、巨匠もそうしてやって来ている。
 難しいけど、大事なことだ。

 レッドソックスは、負けた記憶もたくさん持ってる。
 だから、強かだ。
 レイズには、勝ちも負けも両方が、まだ足りない。

 ほとんど気づかず過ごしているけど、時として、自分が嫉妬される側になることもある。
 世の中そういうことの繰り返しなんだ。
 そして人はベテランになってゆく。

 ところで、昨日の日記は、やはり日曜日の午前三時に書いたと言いたい、私である。土曜日の深夜で、日曜の三時だ。

 今は日にち変わって月曜の午前三時過ぎである。
 
 文学的には、そう言ってはいけないのかな。
 巨匠の指摘だから、ちょっと気になるが。

 それはまあいい。
 
 今日は一日、一歩も外に出ないで、演劇と向き合った。
 未だ、アンサーは見えない。
 実際に、書いているけど、書いては消してを繰り返し、なかなか前進しない。
 
 無理矢理に前進されることはできる。
 でもたぶんそれは、数日後、気に入らなくて全部捨てることになる。
 それが経験でわかるから、今立ち止まり、長考に入る。
 
 将棋の試合みたいに。
 次の一手で止まってるけど、考えているのは、最後の局面だったりして。

 でも、実際に目の前のページが空白だと、ジリジリと焦り、冷や汗が出てくるものだ。
 私は臆病なので、今の時点で、十分に怖い。
 巨匠や、鈴木聡文豪などは、初日の十日前までぐらい、ヘーキで粘るらしいが、
 そんな恐怖は、私には耐えられない。
 ので今、焦って苦しむ。

 そして、こんな苦行がいったいいつまで続くのか、とため息をつく。
 
 誰にも依頼されていないのに、勝手に始めた、芝居書きである。
 自分で尻をぬぐわないと、どうにもならない。

 それは分かっているけれど、時として、深く弱音を吐きたくもなる。
 今は、犬だけが、それを聞いている。
 
 
  
 
 


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