通し稽古
早いモノで稽古は終盤。来週の今頃は、もう初日の舞台も終わっている。
周辺のブログでは、遊んでいる風景ばかりが報告されているけれど、
かなり真剣に稽古には取り組んでおります。
当たり前だけど。
でも、そんなにストレスがないのは、ベテラン中心の芝居だからであろう。
演劇にはダメだし、ちゅうものがあって、ここが違うとか、変えてくれとか、演出家が勝手放題言って、注文を付けることなんだけど、
いくら注文付けても、それを俳優がこなせなきゃ、それはまったく意味のないモノになる。
で、若手が中心だと、どうしても、ダメ出しが、無意味になる傾向が強いんだね。
これが9月の時の、市民参加劇みたいなのでは、まあ、上手く出来ないことこそ市民の証、みたいな言い訳が立つので、
敢えて細かくアレコレ言うより、なるべく気持ちよく、のびのびとさせてあげようと、思うことも出来る。
しかし劇団員相手ではそうもいかないから、イチイチ怒ったりしなきゃいけない。
ところが私は希代の低血圧で、カーッ となるのが、むしろ大変なんだね。
特に、最近はもう、とんと、カーッ とならない。
長州力じゃないけど、オレのこと、カーッ とさせたら、たいしたものだよ。みたいな感じである。
そんな私が たまに カーッ となると、それはもう、大変なエネルギー消費である。
それでも、長い稽古中および、舞台稽古では、カーッ とさせられてしまうことがあるもんだ。
そんでくたびれ果てるんだけど。
ところが、今回はもう、本当に、低血圧のまま、粛々と稽古が進んでいく。
今回追加招集の、若手たちの芝居で、ああ、不味いなあ、何とかしなきゃなあ、という箇所もいろいろあるにはあるんだけど、
次の時には、
それなりに改善されてて、
カーッ となる以前に、別の展開に稽古が進む。
思えば、有馬や犬飼は、そんな若手にとっての研究所での先生であるわけで、
今回の稽古でも、
私が知らないところでも、彼ら先生たちが若手たちの自主練の相手になって、鍛えてくれてるらしいんだね。
先生と生徒が同じ舞台に立つなんて、少し前までは考えられなかった。
けど、うちもついに、そういう厚みが出てきたということなんだね。
師匠と弟子の競演ですからな。
そうなると、これはもう歌舞伎ですね。
さすがに親子競演は、まだ予定がないけど。
あとはなんと言っても、客演の岡田氏がね。
本当にこれで良いのか、と思うほど、私らに気を遣わせない、天才なんだね。
仲良くやれるとは言っても、普通は、もう少しそれぞれの流儀で、摩擦が起きて、
互いにストレスを感じたりするもんだけど、
先方の本音は知らないが、こちらはもう、まったくノーストレスで、たまーに、岡田氏がいることさえ、忘れてしまいそうになる。
てか、客演の方がいることを、忘れている。
それぐらい、自然に溶け込んで、こちらの流れに身を任せてくれる。
これもひとつの才能でありましょうねえ。
その土地の人に、なってしまう才能。
でもそれは、本人にも、大いに得のある才能だと私は思う。
で、岡田氏は、今回それで絶対に、得をする。
私がさせる。
稽古場では、まったく気を遣っていない私だけど、
台本書きでは、気を遣った、というか、岡田氏の使いどころを熟考した。
そこんとこは、けっこう、上手くいってるんじゃないかと、手応えを感じている。