博多にて

 金曜日夜は、劇作家協会で知り合った、地元の演劇NPOの高崎さんが呼びかけ人となって、開かれた博多の若手演劇人たちとの宴会に出た。

 たまたま、この時、土田英生氏も博多にいた。
 三月は、福岡県下で、土田さん絡みの公演が三つ重なるということで、

 土田演劇祭が あるのだとういう。

 で、土田さんとその関連の人たちも同時に集まって、騒然30人以上でもつ鍋を。

 横内演劇祭は ないので、そこでの私の立場は、なんだか、よく分からないものであった。

 何で 横内さんがおられるのですか。

 みたいな。

 しかし、福岡の若手も、昔イムズでやった、新羅生門とか、西鉄の 二十面相 とか、ケッコー観ててくれて、
 話すうちに、意外なとこで、人と人がつながっていることも分かり、

 我が国の演劇村の濃さを思い知る夜であった。

 そして ふくやの 3代目の 川原氏と、20年ぶりにちゃんと話せた。
 彼がまだ高校生の時だ。
 私の台本を演劇部で上演したいと、わざわざ福岡から訪ねて来てくれたのである。

 私が一人、下北の四畳半にいたころで、そのとき、一樽ほどの めんたいこ を貰った。

 川原君は、その後、劇団を旗揚げしたり、博多座に勤めたり、すっかり博多演劇人になっていたのだけど、
 数年前からは演劇活動を続けつつも、家業方面のビジネスに、本腰を入れ始めたのだという。

 今までも博多に行くたびに、時々、何かで顔は合わせていたけど、
 ゆっくり話す機会がなかった。

 これも高崎さんの、仲立ちで、今回初めてその機会を得たのだった。

 フォーティンブラス の時は、受験で東京にいて、
 ほぼ全公演、紀伊国屋に通ったのだという。

 その人が、今は 福岡を代表する青年実業界である。
 恐縮の至り。

 深夜まで、思い出話から、未来への期待まで、アレコレ話し、運命の不思議を感じる。
   
 ちなみに、帰りがけには、中州の本店に行って、
 めんたいこ とその他関連物産を買いました。

 
 で、土曜日は 演劇講座。
 博多座地下のリハーサル室に、二百人以上の勉強熱心な市民が集まる。

 そこで、みっちり2時間、猿之助の主に演出術について、映像など交えつつ、専門的な解説など加えつつ語った。

 市民講座だけど、
 かなり本格的な 演劇科の講義 だったと思う。
 内容は、かつて早稲田の演劇科で講師だった頃やってたことを、映像とか交えてチョィ、バラエティちっくにしただけのものである。
 体裁はともかく、中身は、立派な演劇学であった。
 
 それが
 主に熟年の主婦層なんだけど、
 とても真剣に聞いてくれていた。

 きっと半端な大学で、同じ講義やるより、反応が熱かったのではなかろうか。

 今は、大学生より、フツーのオジサンやオバサンの方が、ずっと向学心と知的好奇心に満ちているのだ。

 まあ、ワシも、絶対に 寝かせない を密かなテーマにして、飽きないように飽きないように と話を進めたつもりではある。

 かつては、こういう時に、壇上から、寝てる人を見つけると、それで焦って、ペースが乱れたりしたものだが、
 最近は そういうことにも慣れてきて、

 ああ、寝たな と冷静に見てたりも出来る。

 で、そろそろあの人、起こそうかな、みたいな余裕もあって。
 でも、昨日はそもそも、落ちる人が とっても少なかった。すばらしい、博多座演劇講座。

 しかし、考えたら、頼まれたこととはいえ、わざわざ飛行機乗って一泊二日で行って、実働2時間である。
 
 その価値があったかどうか、ちと心配ではある。
 
 こちらは、たくさんの演劇仲間と会って宴会とかして、
 懐かしい飛梅組の人とも、再会したりして、

 とっても有意義な、旅であったが。
 
 
 金曜日の宴会があった もつなべ屋が、
 国民文化祭 で一ト月止まったマンスリーマンションの、真裏だった。

 たった4年前のことなのに、街の景色もずいぶん変わっていた。
 それでも、ところどころに、
 懐かしい痕跡があり、

 泣きそうになる。



 
 
 
 
 


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