演舞場

 久しぶりの更新です。
 特に変わりはない日々ですが、ちょっと書けないことが多かったので、滞ってました。

 昨日は
 新橋演舞場で、おもだか一門の 
 獨道中五十三駅 という芝居を見てきました。

 駅は 正しくは 旧字で、馬に 澤 の右側だけの部分をくっつけたものです。
 これで何と読むか。

 ひとりたび ごじゅうさんつぎ 

 だそうです。
 鶴屋南北の作品で、江戸時代からずーっと消えていたのを、猿之助さんが昭和の時代に 復活させて上演したものです。

 東京での上演は 13年ぶりだって。
 
 宙乗り、早変わり、本水、大立ち回り など
 おもだかやの 技のすべてを投入した

 門外漢でも、退屈しない 歌舞伎です。

 実際、客席も大盛り上がりでした。
 師匠の病気以来、玉三郎様とか、海老蔵さんとか、とセットになることが多かった一門ですが、
 久しぶりに 一門だけの歌舞伎公演で

 しかし、一致団結した姿勢を示し、
 おもだか一門、ここにありという、気持ちの良い舞台でした。

 それにしてもいわゆる 御曹司という立場ではない
 ひたすら猿之助という天才の元に集ってきた元は無名の弟子たちだけが
 師匠の技と魂を継承して、
 これだけの大舞台を回しているわけで

 歌舞伎は血が芝居する

 なんていう幻想を我々素人は抱きがちだけど

 血ではなく、
 芸と精神の継承こそが 真実の力なんだと、
 改めて教えられた舞台でありました。

 

 
 その一方
 野球をしかと見ております。
 
 悔しいことのみ多かりきという気配ですが、前回はもっとズタボロに負けていながら、崖っぷちからの生還で
 優勝したんですからね。

 まだまだ これからでしょう。

 にしても驚くのは、自分がサッカーよりも野球をよく知っていること。
 今は断然サッカーの方が面白いと感じているんだけど、
 野球は、かなり適格に試合の流れが読めたり、選手の仕事が理解できたりするんだよね。
 サッカーは、ひたすら 応援のみなんだが。

 何と言っても、物心ついた頃から、自分もやり、テレビで見続けていたからなんでしょうなあ。
 野球エキスが十分に染み込んでおるわけです。
 
 そしてたとえばイギリス人やブラジル人たちなんかも、
 そんなふうにガキの頃から、サッカーに慣れ親しんできて
 サッカーエキスたっぷりで ワールドカップやチャンピオンズリーグに臨んでいるのでしょう。
 
 そう考えたら
 日本の観客の成熟度が足りないと、サッカーにおいて言われるのも極めて当然であろうと納得する次第です。

 ジダンでダメなら仕方ない とか カーンが止められないなら、諦めるとか

 それはイチローや松坂でダメなら、仕方ないよな
 と我々が野球においてわりと冷静に考えるような感覚なんだろうな と思うわけです。

 サッカーの時は、何が何だか分からなくて ひたすら悔しい、ひたすら嬉しい みたいな気分にしかならないからね。

 田中達也にメッシのような働きを期待してしまったり 

 選手だけでなく、観客の歴史の厚みも問われるのが、こういう闘いなんだろうな。
 観客が その競技の難しさを よく理解している。
 これが 厚みというものなんだ。


 
 
 

 

 

  


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