信じるのだ、ということ
今日も野球でしたね。
原監督は、試合開始からもう、目を赤くして、泣いてました。
ドライアイなんじゃないか、なんて言う人もいましたが、あんな霧の中で、ドライなんかのはずはないよね。
しかし、そんな原監督の顔は、今までも何度も見てきたわけで。
涙の侠気、みたいなイメージの人ですしね。
それはともかく、今日の最大の、私の山場は、イチロー選手が、バント失敗してベンチに帰った後の、表情でした。
残酷なテレビカメラが、執拗に追うのですね。
悩める天才の姿を。
そこで私には、イチローの涙が見えた気がした。
たぶん、マイペースでやってれば、そんな窮地に陥ることはなかったのだと思うのです。
でも、今回、イチロー選手は、明らかに何かを背負った。それは自分で自分を追いつめた結果でもあるので、誰のせいでもなく、しかし、今の彼の立場からすれば、そうするしかなかったような宿命的なもので。
いかに天才でも、重すぎるほどのウエイトだったのだろうと推察します。
で、その重圧のためにバントさえ、しくじってしまう、そのふがいなさに、意志とか思いとは別に、自然に涙が滲んだのだろうと思うのです。
それは私のような凡人には、想像だに出来ない、天才という特権的な領域での、ギリギリの、自分自身という存在との壮絶なる闘いなのです。
今日のイチローは、キューバとも、チームメイトとも闘っていなかった。
ひたすら、自分との闘いをしていたのだろうと思うのです。
不肖私も、凡人なりに、自分との闘いというものがいかに辛いものか。
孤独な闘いか、ぐらいは知っているから、心底ドキリとしたのです。
イチローの目が赤くなっていることに。
そして恐ろしくなった。
人はどこまで闘わなくてはならないのだろうか、と。
もういいよ。君は充分闘ったよ、と伝えたい気持ちも湧くのです。これ以上、続けたら、あなた死ぬしかなくなりますよ、と。
チームメイトは、明らかに、そんな心情を漂わせていましたよね。
イチローが打てないことに、一言も文句は言えない、と。
イチローが打てないことに、むしろ皆が責任を感じてしまうような、気配で。
しかもその気配をイチロー本人がビンビンに察知していて、
だからこそ、何とかしようと、さらにもがき苦しみ、深みにはまってゆく。
そこに至って、我々はもう見守るしかなかったのです。
イチローが死ぬにしても、蘇るにしても、それは有る意味天命なのだ、と。
もちろん応援はするけど、その力は、この壮絶な孤立無援の天才の闘いの前には、あまりに非力で。
何もしてあげられない、自分たちにむしろ歯ぎしりしつつ。
唯一出来ることは、信じて待つことだけで。
今ここでイチローが挫折して、凡人となりはてても、それでもいつか蘇ってくれると信じて、その復活を何年でもオレは待つぞと、覚悟を決めて。
この先に起きる、すべての出来事を、たとえ耐え難き悲劇であっても、ありのままに受け止めようと。
一観客に過ぎない私までが、そんな気持ちになったのは、
天才が、その苦悩を、ありのままにさらけ出してくれたからでした。
分かった君とともに滅ぼう。
てか我々は、何も失うものなんかなく、ただ単にちょっとの間、がっかりするだけのことなんだけど、
あなたに任せて、もう文句はいいません。
と思うしかなくなった。
けれどけれど
彼は、蘇ったワケです。
それも、この試合の間に、地獄の縁から、見事生還を成し遂げて。
それは我々の信じる力が試された時であったと思うのです。
人はいつも、理想を追いつつも、必ずサイアクを想定している。
で、その想定を前にして、思いつきでバタバタとあがいてしまい、かえってサイアクを実現させてしまうみたいなことがある。
幸せなことに、今日の我々は、ある種の祈りに近い諦観に達したと言う気がします。
天才が、ここまで苦しむ姿を、晒してくれたことによって。
それが今日はサイアクに出会わずに済んだ。
のみならず、イチローの瞳に、鋭い視線が蘇った。
イメージ通りのバッティングを取り戻し、自信みなぎる、姿を最後にしかと目撃する幸福の瞬間を味わった。
どんなに迷っても、イチローなら最後にはやってくれるんじゃないか。あとはただ信じて待とう。
イチローがこのままじゃ、許さねえぞ。
じゃなくてね。
戦犯とか何とか、そんな心ない、無責任な脅しじゃなくてね。
そういう境地にあったからこそ、その瞬間に、すさまじい高揚感を、我々もイチロー選手と共に、味わうことが出来た、という気がするのです。
茫然自失にして赤い目のイチロー。
それは思いも寄らぬ、イチローの人間らしい弱さの露呈でもありました。
でもそこから、這い上がり、
皆が愛する、自信に満ちた、イチローの姿を取り戻してみせてくれた。
その姿は限りない勇気を我々に与えてくれた、と思います。
人間だから、しくじることもある。
しかし、人間だからこそ、信じる力で、苦境を乗り越えることも出来る。
たぶん、大声で泣きたいような気持ちだったはずなのに、
その勝利の瞬間、にこりともせず、これでいいのだ、これがフツーだという顔で、仲間たちとクールにハイタッチを交わす、この孤高の天才の姿をみた時、
今度は、私が赤い目になったのでした。
天才とは 神ではなく、紛れもない人間の一つの形態なのだという、素晴らしいメッセージを受け取りつつ。