やっと満開に
家の前の並木道の桜が、ようやく満開になった。
この一ト月の間、ほぼ何も生産はしていない。
非生産のままひたすら、物思う日々であった。
そんな3月の終わり、紫さんのお葬式の翌日、また悲しい知らせを受けた。
金田龍之介さんが亡くなった。
去年の夏 新水滸伝 をやっている時も、透析生活に入っておられて、決して体調は万全ではなかった。
それでも、芝居をしなきゃ、ダメになるから出させて欲しいと、ご自分で名乗り出て下さり、
透析をしながら、稽古から本番まで、やり通されたのだ。
用心しつつ、お元気でおられると思っていたのに。
ご家族にも突然のことだったらしい。
昭和を代表する、名脇役である。
舞台、映画、テレビで、たくさんの傑作を支えている。
ニナガワとエンノスケ、両方から頼りにされ、
そのまったく違う二つの世界観を、自由闊達に行き来し、
なおかつ、常に、唯一無二の キンリュウ の存在感を示しておられた。
そして、休憩中、雑談の中に、いつも漂う知性とユーモア。愛嬌のあるお色気。
三十以上離れた、若輩の私に対して、いつも 先生 と声を掛けて下さり
演技はこれでよろしい でしょうかと、丁寧に訊ねて来られた。
そんなこと言われても、こちらは恐縮するしかないんだけど、
それは極めて本気で
常に、工夫を 怠らぬプロであられた。
スーパー歌舞伎に出だした頃、最初は、歌舞伎の見得がなかなか決まらなかったのを
いつの時からか、しっかりと手の内に入れてしまわれていた。
昨年の ヤマトタケル ではもはや歌舞伎俳優といっても遜色ないものになっていた。
それでいて、
翻訳劇 サラ の侍従役みたいなのを、
圧倒的なリアリズムでサラリと演じられる。
紫さんは、デニーロの芝居が あこがれだとおっしゃっていた。
出てくるたびに、別人みたいでしょ、あの人、と。
ああいうふうに、やりたいと思っている、と。
キンリュウさんの芝居には、
どこかデニーロチックな、匂いがあった、と私は思う。
もっともっと、高く評価されてしかるべき人であった。
ただ、腕が有りすぎて、
大きな現場の脇役で、常に必要とされ、
芸術なんか、のんびりやってる暇がなかったんだな、
見事な役者人生だった。
明日、お通夜。
去年の暮れ、
人生のクライマックス 関連で、ファッションカタログなんか見まくっていて
自分が一足も、冠婚葬祭用の正しい黒革靴を持っていないことに気づき、
伊勢丹メンズの バーゲンで買った
黒いストレートチップの靴。
ずっと履くことなく、三月が過ぎていたのだけど
この春の 花 を踏みしめて、
寂しい履き馴らしである。
まだ足に馴染まず、少し痛い。
