喫茶店の話
スタバとか、何とか、今流のカフェは居心地も悪くないし、決して嫌いじゃない。
でも、たまに、
喫茶店に入りたい、と思う。
自分はほとんど飲まないのに、たいてい余分に奢らされるから、どんなに安い店でも個人的にはボッたくられ状態で、居酒屋なんか語る気も起きないけど、
喫茶店は、私にとって大事な場所である。
昔は、執筆もしてた。
パソコンなんかない時代。原稿用紙なんか持ち歩いて。
下北では、ノイズ なんか好きだった。
南口にあった、ジャズ喫茶だ。
実は町田の、何かビルの中の2階にも、支店があった。
中央林間の実家にいた頃は、わざわざそこまで行って、書いたりしてた。
善人会議の初期の頃だ。
シャーペンに、消しゴムで、書いては消し書いては消し。
だいたいアイスコーヒー一杯で、三時間ぐらいは、そこでやって、机の上には消しかすが、散乱した。
右手の小指付近は、鉛筆カスで、真っ黒になったものだ。
今思えば、信じられないが。
全部、手で書いてたんだよな。
そして書き直しもしてた。
たまに、コピペもしたけど、
それはハサミで切って、本当に工作ノリで原稿の一部を移動してペーストする、手作業コピペであったものよ。
それはともかく喫茶店。
新宿なら、かつて紀伊国屋下にあったマンモス喫茶・カトレアが、劇団初期の会議室、兼、さまざま作業場であった。
ここはとにかく広くて、いつ行っても、何人でも、必ず入れたし、ダイレクトメールの宛名書きをみんなでやるなんていう作業がやりやすいところだった。
ここで劇団のいろんなことが決まったものよ。
あと、ちょっと奮発して、じっくり話すのは滝沢とか。
今、椿屋珈琲店になってるとこね。
ここは、ウェイトレスのお姉さんが、とっても丁寧だった。スーツとかちゃんと着てね。挨拶も丁寧で。
ただ、なんかみんな田舎から買われて出てきた口減らしの娘たち、みたいな感じで、
若いけど、どこか幸薄い感じで。
みんな二段ベッドの寮に住んでて、礼儀作法とか習って、新宿の中年のオッサンに見初められ、やがて二号さんになる運命なんです。
みたいな風情であった。
これは明らかに偏見であるが。
関係各位がいたら、ごめんなさい。
でも、この感じ、分かる人には分かるはず。
カチッとしてるけど、なんか頬が赤くて、足の太いお嬢さんが、多かったと思わないか。
ここは何時間いてもいいし、ゆっくり話せるところで、打ち合わせには最適だったけど、珈琲が、千円ぐらいして、
わしら若者には、ちょっと高い場所だった。
わしらには二号もいらなかったし。
だからもっぱらカトレアだった。
もうひとつ、マンモス喫茶では マイアミ てのがあちこちにあったけど、
ここは、
ディスコ帰りの若者が、始発を待つ深夜営業で有名なとこで、
いかにも新宿らしい、猥雑さと、トイレあたりに、へんなエロスの香りがいっぱいだったものだけど、
演劇の打ち合わせには、ちょっと不向きな感じであった。
そういえば、
そんな頃から、新宿トップスはあった。
今のビルになる前は、
2階建ての家みたいな喫茶店だった。
今思えば不思議だけど、初期の頃、トップスには、あんまり私たちはたむろしなかった。
ちょっとオシャレで、学生劇団の打ち合わせ、には不向きだったのかもしれない。
その隣の2階に、らんざん という喫茶店があり、
そっちの方はよく使っていたけど。
ここはもう由緒正しくダサくてキッチュな新宿雑居ビル喫茶であった。
黒ずんだインキチ・ギリシヤ彫刻なんかが、設置されていて。
珈琲はきっちりと不味く。
今その らんざん 跡が、エル何とかゼニアというブランドの店になった。
あそこじゃたぶん、うまくいかんぞ、と思うんだけど。
何しろ、名前が覚えられねえし、何とかゼニア。
トップスが、ビルとなり劇場が出来てからは、
ここが、がぜん演劇人の巣窟となった。
行くと必ず、業界の誰かと会うし。
そして我々も、なにかとここで、打ち合わせをした。
ここで決まったこと、決裂したことは数知れない。
そんなトップスも、いよいよ消えるという。
喫茶店は残るのだろうか。
たとえ残っても、スタバみたいになっちゃうんだろうな。
そうしたら、
私たち、どこで打ち合わせをしたらいいんだろうか。