スタバの話

 ついでに喫茶シリーズで。

 私の記憶が確かなら、初めてのスタバ体験は、99年の暮れ。はじめて行ったニューヨークの、なんか地下鉄の中の店だった。

 今なら東京にも駅地下スタバはあるけどね。
 そこで初めて、スタバを見て、
 おお、これぞニューヨークみたいに感激したんだね。

 で、訳も分からず、同行の妻と、フラフラと立ち入り、緊張しつつ見様見真似で、注文したら、

 馬鹿でかい、珈琲かき氷みたいなのが、出てきてしまったのだった。

 何しろ、寒い冬のこと、何で、真冬にこんなに冷たいモノ、しかも大量に、食わなアカンのや、という拷問チックな感じに、たちまちなってしまいました。

 今なら、かき氷を頼むにしても、ショートのフラペチーノ、なんて、正しく注文できますが。

 その時は、フラペチーノなんて言われても。
 何だか、見当もつかなかったのですね。
 でも、分からないまま、イエスイエス、みたいに言ってしまうという、最もいけないジャパニーズツーリストのパターンにはまってしまったんだな。
 
 しかしその時は、そもそもスタバとは何なのかさえ、よく分からないまま、おそらくレギュラー、しかし日本版レギュラーよりもきっと大量の、かき氷と泣きそうになりながら格闘したのでした。

 あの時は、心底、暖かいコーヒーが欲しくなりました。
 スタバの中で。

 で日本での初体験は、大阪です。
 大阪の梅田。
 
 たぶんその数ヶ月後、無邪鬼 という芝居を梅田のヘップホールというところでやりました。
 梅田のど真ん中、観覧車があるビルです。そこに劇場があった。今もあるのかな。

 んで、そこにスタバがありました。
 大阪にあるぐらいだから、たぶんすでに東京にもあったのでしょうが。
 おお、あのニューヨークの、と発見して、嬉しくなったのを覚えております。
 スタバがシアトル発のものだったなんて知るのは、ずっと後のことです。
 
 で、また見様見真似、というか、今度は落ち着いて、写真付き日本語メニューとか見られたので、
 なんかステキにクリームが盛られた、コーヒーを頼んだのでした。
 もちろんちゃんと暖かいヤツで。

 ニューヨークの仇を、梅田でとったのです。

 でも、その時、プラスチックのカップに載せられた、あの白いフタの使用法が分かってなかった。

 わざわざ載せられる、あのフタは、単に、コーヒーが冷めないための工夫と思ってたんですねえ。

 で、イチイチ、フタを取って、フーフーしつつ、口の周りにクリーム付けて、啜ってた。

 その飲み方の間違いに気づいたのは、それからしばし後、とある映画館の客席で、でした。

 オースチン・パワーズ

 というお馬鹿映画が流行っていました。
 私、あのオースチンみたいなのを 当時たかシ 現崇史 にさせられないものかと、考えていて
 まあ偵察チックに見にいったのですが、

 その中で、
 あのフタの使い方を知らなくて、クリームを口の周りに付けてしまう、間抜けなヤツ、みたいなギャグがあったのですねえ。

 その間抜けは、
 他人が、フタをしたまま、あのポチっと、小さな穴開けて、そこから、啜ってる様子を見て、初めて自分の飲み方の間違いを知り、ちょっと恥ずかしくなるワケですが、

 まさにその時、私も、その間抜け同様、

 なるほど、そういうことだったのか。
 どうりで、飲みにくいと思ったんだよな。

 と、我が身の無知を恥じつつ、
 深遠なるこの世の真理を悟ったのでした。

 あれから、まだ十年も経ってないと思うけど、
 今や、スタバは、錦糸町にも、厚木一番街にもあるわけで。
 厚木の中学生でも、あの白いフタの正しい使用法は知ってるワケで。

 こうして時代は変わってゆくのだと、しみじみ思うわけです。



   
 

 


 

 
 


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