新型一号を待つ
豚の名は、
我らが第2のホールタウン、厚木の名物のために、ぜひ避けておきたい。
新型インフルエンザである。
しかし、これだけ毎日朝から晩まで、
感染か否か、
と煽られ続けると、何だか、本質がわからなくなってくるのは私だけか。
我が国の新型感染者、第一号はみつからない方が、良いのだよね。
しかし、
スワ ついに発見か。
とニュースが出て、
いやいや、これはまだ、そうじゃありませんでした、
と二の矢が飛んでくると、
何だか
なあんだ。ザンネン。
みたいな気配になっちゃいねえか。
まあ、ザンネンというのは、言い過ぎであろうけど。
テレビとか
ああ間違いで良かった、良かったと。
あんまり喜んでないでしょ。
いやいや油断しちゃいけません。まだまだ、これからこれから、
ドンマイドンマイ
こっから取り返して行くよ。
こっからだよ。
セーフだったのに、あんまり喜ばず、さらに深刻な顔で事態を憂うるキャスターとかの言葉が、
そんなふうに聞こえてしまうのは私だけか。
セーフでいいじゃん。あんた、セーフじゃ困るのかい。
しかし
今や、第一号のスクープをすれば、その筋では、立派な手柄となるのは確かで。
どこだ、どこだ。
出るのか、出るのか。
と熱している気配はしっかり伝わってくる。
熱すれば、それはやがて祭りとなり、
多少、はしゃいだ感じになるのは、どれも皆同じ。
たとえ
悲しいことでも、真の当事者以外はな。
お祭り騒ぎさ。
かれこれ20年前
やんごとなき、お方が、長く床に伏されたが、
この時は、こと細か、刻一刻と病状が速報で伝えられた。
真夜中でも
ただ今、下血有り、みたいに。
その頃、ある居酒屋でテレビに速報が出た時
オオ、また下血下血 と騒ぎ出した不謹慎きわまりない、世が世なら不敬罪で、あんた逮捕だよ、みたいな酔っぱらいを目撃した私は
現代において、こういうお立場の方の死は、これもまた、ひとつのイベントなんだと理解した。
しかし、ただ一人の人のカラダの具合を、全国民で、凝視してしまうんだからな。
そりゃ、
大イベントになってしまいます。
そして
今、起きていることも、まさに、それ。
ただ一人の、無名の市民のカラダの具合が、
全国民の注目の的になる。
で
裏か表か
まるでゲームみたいに、2億4千万の瞳が
それを見詰めて
一喜一憂する。
こんだけ注目されるなら
いっそ第一号になってみるのも得難い経験か、なんて思ってしまうのもありそうな話よね。
これで人生は変わる。
数多くの人たちから、気に掛けてもらえる存在となることは、絶対に確かだからな。
少なくとも、秋葉原に、レンタカーで突っ込むよりは、まともな神経だ。
ただ
んじゃ
かかってやろうと思っても、さて
どこで何をすればいいのか。
ウイルスと共に、
そんな時代の状況が深く関わる騒ぎであるなあ、と思う。