サイモンとガーファンクル
ちょっと前のことながら
武道館でのサイモンとガーファンクル公演に参加していました。
百鬼丸公演の間隙を突いて、という感じです。
中央林間でのチューボーの頃、同級生の内藤君から、これ聞きなとLPレコードを渡され、
特に ボクサーは、訳詞を読みながら鑑賞するようにアドバイスされて以来、
決して熱心なファンではないけれど、折々に聴いてきた音楽です。
それが、あなた、たぶん最後のツアーで来てくれるっていうのだから、何としても行かねばと思ったのです。
ガーファンクルさんの、声がちょっと細っててね、
ああ、寄る年波、と思わずにいられない部分も有りつつ、
それでも
明日に架ける橋 のラストのガーファンクルさんの熱唱は、レコードで聴く時には、私にはちょいと出来すぎ感が強かったこの名曲が
ああ、胸を打つ と素直に思えるものとなっておりました。
もちろん、ボクサーも、サイレントも何もかも全部きっちりやってくれて。
お互いに、マイオールド・フレンドなんて紹介しつつね。
五十年来のご友人だそうで。
その一方で
二人の不仲は、有名な話で、この公演も、最後の一稼ぎ、なんていうふうに一部言われてたりもするらしい。
でもね、
あたしも、お二人には及ばずながら
15歳で知り合った同級生や後輩たちと劇団を続けてたりするのである。
そんなに仲がよいのか、と言われても戸惑うばかりだ。
なんでやってるのか、もはや、分からないんだから、本当に。
それぞれに、
もう君とはやってられんわ、
と思った局面は数知れず、何度も絶交もしてきたはずだ。
それが、
正式な手打ちもないままに、気が付くと、また芝居をやってたりする。
つまるところ
人のつきあいも、三十年以上になると、もはや家族より長くいる計算になってたりして、
好きとか嫌いとか、
そんな次元では処理できないものになっているのである。
だから
周りが、サイモンとガーファンクルは、本当は仲が悪いんだよ、
なんていくら言っても、
本人たちには、たぶんピンと来ないことだろうよ。
で
とりあえず、仕事で引き受けたから歌うよ、と。
でも、なにせ子供の頃からやってるから、もううんざりなのに、なぜか誰よりも息が合ってしまう、と。
そんな感じじゃないかしら。
年老いた老人が、ブックエンドのようにじっと、公園のベンチに座っている、と歌う
ブックエンドのテーマが、オープニング曲だった。
ブックエンドは、仲良くも悪くもなく、ただそこにじっと存在している。
自分がそんなものなることを君は想像できるかい、
みたいな歌詞が確か続いたと思うけど
二人とも、マジでそんな歳になっていて
年月の重みが、すでに見せ物になっている。
声が細いとか、高音がきついとか、そんなことはお構いなく
ただ二人が、現れただけで、歌い出すまで1分間鳴りやまぬ拍手。
それでいいよ、と思ったな。