加藤和彦さんのこと
稽古中に、スタッフから知らせを受けた。
冗談だろ、と思った。
たとえ、何かあったとしても、それは事故の間違いだろうと。
けど、遺書まであるらしいから、やっぱり自殺なのか。
最後にお会いしたのは、八月の末。紫吹さんらと、ちょっと遅い うたかたのオペラ の打ち上げをした時だった。
いつものように、お洒落に現れ、さわやかに談笑されていた。
紫吹ファンからのリクエストが、たくさん届いているということで、ぜひ近いうちにグレードアップしての再演を実現しようと、愉快に話し合っていたのに。
みんな言ってるけど、どうしてこの人が死ななきゃならなかったのか、さっばり分からない。腑に落ちない。
特に、今年になってからは、紫先生のことや、その後、うたかたのオペラ に一緒に取りかかって、頻繁にお会いしていたので、加藤さんの私生活のようなものも、垣間見てたりした。
でも、そんな深い屈託を抱えているようには、まったく感じなかった。もちろん、繊細で、深く物事を考察する、哲学者の一面はお持ちだったが、
常に、ユーモアに満ちていて、
自殺なんか、最も遠い人だと思っていた。
あの姿のどこに、そんな闇が広がっていたのか。
それをこちらがまったく感じなかった、そのことが心に重い。
ただな、
そういえばだけど、
うたかたのオペラ とか ベル・エキセントリック の辺りの一連のアルバムの話をしてた時、
これを超えられないよなあ、
と独り言を言われていた。
そのトーンが冗談のそれとちょっと違ったのが、印象に残っていた。
音楽の上の、表現上の問題だとすれば、これはもう、何も口を挟めない。これだけの傑作を残した、才人の苦悩である。
あの人をして、創作の苦しみは、消えることはなかったかと、ただ戦慄するのみである。
少し前に、聞いたことがある。
加藤さんは、かなり大変な時も、余裕に満ちていて、優雅にして穏やかだけど、どんな秘訣があるのですか、と。
おじいさんが仏師でね、仏教的な諦観のようなものが、先天的な根っこにある、みたいなことを仰った。
たとえば、こういうレストランで、ウェイトレスに水こぼされて、高いスーツを汚されたとして、
腹立てるより、そういうご縁だと、思うんだよね、と。
また一人、突然に大事な人とのお別れがやってきて、
今年の秋は、さらに寂しくなった。
せめてもの救いは
うたかたのオペラ を実現出来たことだ。
今の稽古場で、つい先日、紫吹さんと偶然お会いして、その話、したばかりなのに。
合掌。