これがソレ
夏以降、あれこれと重なりすぎて、劇団員の舞台もロクに見に行けてない。
見たいと思った映画も、ほぼ見逃した。
そんななか、今日、神奈川の高校のワークショップ帰りに、なんとか潜り込んで観たのが、
マイケルのやつ。
THIS IS IT
特に、大ファンというわけでもないんだけど、世代的に避けて通れない道だったワケで、
『新羅生門』という舞台では、
当時、ディズニーランドにオープンしたぱかりの
キャプテンEO をパクって、六角がマイケルの曲に乗って、愛と正義の戦士となり、華麗に踊っていた。
思えば、2個違いのほぼ同世代なのである。
ベストヒットUSA で、ミュージックビデオというものの、洗礼を受けた世代だ。
ソウルトレイン は、当時の私にはちょっとマニアックすぎて、そこまで追いついてはなかったけど
ベストヒットUSA に毎週紹介される、あの手この手の
新感覚は、これは見逃したらたいへんなことになる、と思わせるような、驚きに溢れていた。
で
映画になった、幻のマイケル復活コンサートのリハーサル風景。
ホントにやれるのか、
と多くの人が疑っていたコンサート。
それが、この映像の中では、ほぼ完成している。
こんなに出来上がってたのか、
マジにやる気だったのか、
と私も愕然とする。
そして
ここまでやって、ついに初日を迎えられなかった、本人と関係者の無念を、思わずにいられない。
今、芝居の稽古してるから、余計にしびれる。
初日に迎える、観客との勝負のために、重ねる稽古によって、じわじわと緊迫感が高まってゆく。
そして深くなってゆく、スタッフ、共演者との絆。
それは、大きな舞台も、小さな舞台も、関係ない。
ライブに生きるためには、必ず、通る道筋だ。
あれだけ孤独だったマイケルも、
ライブの舞台に立つために、音楽と踊りで結ばれた家族を築きあげていた。
その家族たちの姿は、
彼が実人生で作ったということになっている、3人の子供たちより
ずっと遙かに、リアルで豊かなモノに、私には思えてしまう。
その家族たちとともに、観客のいないリハーサルのアリーナで、歌い踊るマイケルの、
何と美しく輝いていることか。
これを観ていると、結局、彼の人生は、ステージにあり、真の家族もまた、ステージの上にしか持てなかったのだ。
そう思えてならない。
それは一人の人間としては、悲劇ではあるが、アーティストとしては、至高の幸福である。
ここまで用意されたライブが、ついに開幕しなかったというのは、
あまりにも無惨な運命の皮肉である。
でも
おそらく苦しみばかりが膨らんでいたであろう、
この芸人が、最後の最後、
最愛の新しい家族たちを得て、最も彼が寛げて、自分らしくいられる家ともいうべき
ステージの上で、歌い踊る数ヶ月を過ごしていたということが
せめてもの救いだと思う。
「僕は、周りの音をこの耳でしっかりと聴くように仕込まれて育ってきたから、イヤーモニターの音は辛い。耳に拳をを突っ込まれるみたいだ」
リハーサル中に、こんなことを言って、ジャクソン5の頃の曲を止める。
オヤジに無理矢理、芸を仕込まれたトラウマから、父を避け、父と同じ黒い肌を憎むようになった、と言われている、マイケル。
でもその芸が、彼を、世界一有名な男にした。
その、絶望的な矛盾。
僕はそう育てられてきた。
たった一言だけど、
そこに重い人生が集約されている。
でも
その重さが、ひとたび、音に包まれると、
空を飛ぶ軽さに変貌し、
彼は月面を闊歩する人となる。
そこに泣いた。
にしても
稽古は尊い。
ある時は 本番以上に。