平成の川谷拓三
均ちゃんの 名字をずっと間違っていた。
ごめんなさい。
地に咲く菊にあらず、池に浮かぶ、菊でした。
菊池均也。
13ぶりなんだそうだ。「ジプシー」って芝居が九州まで旅して回ったことがあるんだけど、
その大野城市での公演が最後だったらしい。
でも
そんなに久しぶりとは思えない、驚くほどのスムーズさである。
その間、ほとんど会ってもいないのに、自然に稽古場にいて、当たり前みたいに稽古している。
まあ、偉ぶらない、実直な人柄がそうさせてもいるんだろうけど。
劇団を離れてから、大きな仕事をいくつもやって、業界では、知られた名なのだ。
均ちゃんがいた頃は、劇団の創生期から、小劇場ブームのただ中の頃で、こちらも若かったし、野心にも溢れて、アレコレとやりまくり、失敗したり、喧嘩したり、まさに激動の青春という感じの頃だ。
忘れられません、あのころのこと、ぜんぶ身に染みついてます。
と高倉健のように、しみじみと語る、その背中が、流れ者の工事人、カンさんである。
そして現代の 川谷拓三だ。
今の若い人はもう知らないかね。
川谷拓三さんという俳優。
私は、均ちゃんは、劇団の川谷拓三だと思っていた。
今も、ちょっとしたしぐさと、表情が、被って見える。
故・川谷拓三さんは、「きらら浮世伝」という作品に、出ていた。
京都の撮影所の大部屋の斬られ役から、這い上がって、スターになった伝説的役者である。
映像が専門で、舞台は2度目ぐらいとか、言っていた。
でも、そのリアルで揺るがぬ存在感をたたえた演技は今も、脳裏に焼き付いている。
普段は、折り目正しく、当時、まだほんの駆け出しの作家だった私にも、細やかに気を遣って、励ましの言葉を下さった。
大スターだったのに、控えめで、優しい人だった。
でも、飲み出すと、もう止まらず、
いつも誰に担がれて、よだれを流して白目を剥いて、帰っていた。
その無惨にして、凄みのある姿には、一万回斬られた男の、片鱗がしかと見えていたモノだ。
ホントに
仁義なき戦い の名場面をひとつにした総集編なんか観ると、一本の映画で、5回ぐらい殺されていたりしているのである。
監督にもスタッフにも、愛されていたから、何度も目立つところで、殺されていたのだろう。
川谷さんとコンビで きつねどん兵衛 の宣伝してた、
山城新吾さんも亡くなりました。
昭和は遠くなりますね。
今、均ちゃん、13年ぶりの稽古場で、懐かしいだけでなく、年輪を重ねた、男の人生を可笑しく哀しく、見せてくれています。
平成の 川谷拓三 を観て下さい。
ちなみに均ちゃんの善人会議のデビューは
ザ・スズナリでの「曲がり角の悲劇」の初演で、下人たちの一人、死体を片付けるデッパという役だったらしい。
その翌年、私は川谷さんと出会っている。
それは昭和の終わりのこと。
岡森クンの ごぶもり日記に 良い写真が出てるぜ。
私の隣が、均ちゃん。
すいません、飛ばし方が分からないので、扉座HPから ごぶもり日記に行ってみて下さい。