天国とは、そんなに甘いものやおまへんで
それはKKミーティングという集まりなのであった。
送る会でも、偲ぶ会でもなく、あちこちで笑いの絶えない、なんか不思議なパーティだった。
きたやまおさむさんが、最初に挨拶に立って、言った。
死なないと約束していたのに、それを破りやがって、馬鹿野郎です。
だから、遺書にやってくれるなと書いてあった、集まりを嫌がらせのように開催するのです。と。
あいつが、追い返されてくるように。
なあ、お前、天国ちゅーところはそんなに甘いものやおまへんで。出て行けー、と。
小学生の頃、何度も何度も真似した、
帰ってきた酔っぱらい の名調子である。
それを聞きつつ、
笑いながら、涙が出た。
福岡のイベントでは、甲斐よしひろさんの曲にきたやまさんの詞を付けて頂いた。
その曲を、氷川きよし さんが歌ったのである。
加藤さんに、お願いして、きたやまさんをご紹介して頂いたのだ。
その後、幾度か、きたやまさんにも扉座を観て頂いている。
サンシャインでやった ドリル魂 では、確か、加藤さんときたやまさんが偶然同じ日に、見に来て下さったはずだ。
おお、フォークル、ドリルにて復活、と個人的に興奮したものよ。
日本のフォーク・ロックの元祖たちが、集結していた。
それに混じって、我々、演劇関係者も、相当数。
思いがけない再会もあり。
尾崎亜美さんに、十数年ぶりで。
善人会議時代、後援会長の神谷明さんが、何度も公演に連れてきて下さった。
天使のウィンク 全盛期の頃である。
ご挨拶すると、覚えていて下さった。
まだおそれを知らぬ若造の頃、芝居の音楽を作曲して下さい、なんて、平気でお願いしたものだ。
こういうことが、思わぬ再会を運んでくれてね。
と亜美さんも、懐かしがってくれた。
公演のご案内をお送りするお約束をした。
自殺するなんていう感じに、まったく見えなかったのです。
いつも人生を心から楽しんでおられると思っていました。
つかの間の立ち話。
きたやま先生に、ずっと抱いている疑問を投げかけてみた。
彼はね、ああ見えて、優雅に余生を、なんて気持ちはさらさら持ってなかったと思うよ。
ずっと、最前線のミュージシャンであり続けるという覚悟でいたのだと思うよ。
あの穏やかな笑顔のなかに、隠されていた、修羅の嵐。
特別なワインと美食と、溢れる冗談の夕べ。
たぶん、集まった人たちも、それぞれに割り切れぬ悲しみや怒りとか嘆きを、胸に隠して笑っていただろう。
おもえば、その原点は、おサイケの、エログロナンセンスの、アングラの元祖という立場であった。
そんな加藤さんらしい、諧謔のパーティであった。
日曜日は、劇作家協会の、イベントがお昼からと、夕方には、新人戯曲賞の審査会。
劇作家とは何者なのか、
そんなことを巡る、お気楽なシンポジウムが、12時開演で、座・高円寺 にて開かれます。
お暇な方は、ぶらりとお出かけ下さいませ。
マキノさんとか、坂手さんとかも出演します。