稽古へ
明日から『ドリル魂』の再工事だ。
再工事は、なんか欠陥建築みたいなので、使わぬようにと制作部は言ってるけど、
語呂がいいんだよな。
でわしはつい言ってしまう。
まあ、何たってテーマが、
「造っては壊す、その繰り返し」(ドリル魂のテーマ より) だから、いいんじゃないか。
今日も、六本木に行く途中、iPodを聴いていたら、シャッフルで『ドリル魂・ナンバー』数曲が出てきた。
笑ったのは『Weますぐ現場』が、クィーンの『We will ×××』の後にいきなり鳴りだしたこと。
似てるからね。
てか、インスパイヤーされてるからね。
パクリじゃないよ。パクリじゃね。
あくまでも別物です。
にしても、わしのi君も、乙な真似をしやがるもんである。
さて、今日は俳優座に行ってきた。
『猫と針』
久しぶりに、見たんだけど、かなり手慣れて、スムーズなものになっていたなあ。
でも、こういうシンプルで、俳優勝負の舞台というのは、飽きが来ないのが何よりですね。
やってる方は、もう飽きてるのかもしれないけど。
生身の人間、眺め続ける行為ってのは、多分に趣深いものなのだと、しみじみ思う私であった。
あと、チェロの、海老澤氏の演奏が、非常にしっくりはまっていた。
毎日毎日、弾き続けだからねえ。
にしても、最近は、生演奏ブームなんだそうである。
アチコチの舞台で、生楽器が鳴り響いてます、と演出補の白井クンが楽屋で報告していた。
別に流行に乗ろうと思ったワケではないけどな。
ただ、これは春にやった『踊るアジア』で、生チェロを聴いた経験が大きかった。
もともと好きだったけど、即興的な演奏でも、味わい深い楽器だなあ、とつくづく思って、いつか使ってやろうと思ったのだった。
思えば、遠い昔の出来事みたいだけど。
ほんの半年前のことなんだね。
あと、あの空間も、告白すれば、ダンス公演に関わった経験で生まれたものだ。
言葉を排したところからのイメージ作りというか。
今回は、わしは、コンテンポラリー系のダンス作品だと思って演出しようと思ったのだった。
一つの空間に閉じこめられて、恩田陸の言葉を音楽として、踊る俳優たちが、イメージだ。
何しろ、本の全貌がなかなか見えなかったから、勝手に理屈作って、イメージ固めていくしかなかったのである。
でも、今日久しぶりに見てみて、それが良かったような気がした。
説明しようとしていない分だけ、いい具合で、言葉と距離が出来ている。
その結果、言葉が浮き出てくるし。
アチコチでやり散らかした、
いろんな仕事が、とりあえずわしの中ではリンクしているのである。
明日は、そんな生演奏ブームの一つと上げられていた、
円形劇場の『シラノ』を見て、その後、慌てて錦糸町に。
まずは、再工事、改良部分から取りかかる。