犬に教えられ
ポーシャが、付きっきりで、子犬たちの世話をしている。
3匹の子犬たちは、眠っているか、おっぱいに吸い付いているかのどちらかだ。
はじめは、不眠不休で、そんな子犬たちの世話をしていたポーシャだが、さすがに疲れと、慣れも出てきたようで
時々、カラダを投げ出して、眠っている。
しかし、そんな時も、子犬たちは、必死におっぱいに吸い付いている。
両手で、ぐいぐいと母のお腹を押しながら。
その力の、強さと言ったら。
本当にグイグイと肉がきしむ音が聞こえるようだ。
今日は、家で ドリル魂 ガチンコ篇の台本作りを一日やっていた。
なので初めて、一日中、この親子を見ることが出来た。
すると時々
ポーシャが子犬たちの巣箱から、一人抜けだし、呆然としている姿を目撃した。
疲れ果てた、眼である。
そりゃたまらんだろう。一息も付きたくなるだろう。
ご飯を食べているときも、おっぱいには必ず誰かが吸い付いているのだ。
私には子供がいないので、
初めてじっくりと眺める、母の死闘である。
とにかく己の身を、我が子に惜しみなく差し出して、与え尽くす。
理屈抜きの 無償の愛 である。
子犬たちは小さいが、
ポーシャだって、まだ小さい、ぬいぐるみみたいな、子犬だ。
それが顔つきだけは、きりりと締まり、常に辺りに気を配っている。
イビキをかいて寝ていても、わずかな物音ですぐ目を覚ます。
たくましく、頼りになる母の姿である。
芝居で、母だの父だの、書き飛ばしてきた。
もちろん人間の話だけど。
でも
母が持つ、子への執着。
その凄まじさ、烈しさ、強さ。
現代的なドラマが探る、ヤワな関係性を超えた、神話的なその繋がりの有り様を、思い知る。
胎児たちは、へその緒に連なる胎盤とともに、この世に登場してきた。胎盤は、この世に出た途端、処理されるべき汚い肉片に変質するワケであるが
この肉片こそが、母と子の命綱である。
理屈や、言葉では捕らえきれない、圧倒的なリアリズムがそこにある。
今も、この親子の間には、見えぬ胎盤があり続けているのだろう。
それを人は 母の愛と 呼ぶのかもしれない。
輝く細かな絹のようだった、ポーシャの毛が、パサパサになってきている。
でも、その姿が 髪振り乱した鬼神にも似て、凄みを帯びて神々しい。
