涙が見える

 ラブ×3 13の初日。
 進行も演出も、具体的なことは、ほぼメンバーたちに任せ、私はお客さんと同じ時間に劇場に。

 そして観る、本番。

 久しぶりの、至近距離、演劇である。
 目の前に、俳優たちが立つ。
 飛び散る汗もツバも見える。

 客席が詰め込みのぎゅーぎゅーではないことと、セリフが全部絶叫的叫びになっていないことが、
 イマドキの舞台ではあるが、

 我々が芝居を始めた頃の、感覚に近い。
 かれこれ、二十九年前か。

 ラブ×3 のへたくそだけど、ひたすら必死で熱い姿は、何度観ても、我々に原点を思い起こさせてくれるのだけど、
 今回はまた、ことさらに、その思いを深くさせてくる。

 一所懸命だけが、武器だった、頃。

 支えるスタッフたちが、プロなので、パッケージに破綻はない。
 だから、あのころの我々と比べたら、こっちの方が数段見事に、公演をやっている。

 ただ
 本人たちは、今はひたすら無我夢中なばかりで、きっと自分たちが、今何をやっているか、その意味や意義を知るのは、たぶん、もっとずっと先の、芝居の極意みたいなものに、触れる時かもしれない。

 今は、振り返る余裕もない。

 その未完成度もまた、この公演ならではで、今ココにしかない瞬間だなあと、しみじみ味わえた。

 ところどころで、若い俳優たちの眼に光るものを観た。
 近いから、隙もよく見えるけど、大切な真実も伝わってくる。

 その度に、こちらの体温が少し上がるのも感じる。
 技術を超えた、ひたむきで切なる思いである。
 
 初日を迎えて、初めて、何かが見えた、シーンもたくさんあった。
 本当はそれじゃいけないんだけど。
 稽古場で、仕上げるべきなのだけど。

 それでも、若者が、あがいて苦しんだ挙げ句に、何かを掴む瞬間。
 それだけで尊い光景だと思う。

 そんな、今日今夜、ここで生まれたもの。
 それがたくさんあった初日の公演だった。

 日々姿を変え伸びゆくタワーの下
 彼らもまた、建設途中の何者かである。

 日曜日の最後の公演までに、どこまで変わっていくか、楽しみになった。


 さて
 明日は私は、夜から調布の仙川へ。
 『新羅生門』の顔合わせがある。

 こちらも二百人も入らない、小劇場。
 個人的な仕事ととしては、これだけ小さい小屋は、ろうそく芝居の『お伽の棺』は別にしたら、
 たぶん10年以上ぶりである。

 
 

 
 

 

 
 


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