オリンピックのこととかも

 少し遅めの外出だったので、家で、子犬たちに離乳食を食べさせつつ、フィギアスケートを観ていた。

 全部は観られず、結果のみ、夜に知る。

 で高橋選手の演技を観ていたのだけど
 つくづく、時代は変わった、と思った。

 日本人は、やっと、恥ずかしげもなく、踊ることの出来る人たちになってきた、と感じた。

 子供の頃観ていた、フィギアスケートとか、体操とか、日本選手が、技以外でダンスチックなことをするところは、限りなく、照れくさい感じがしたものだ。

 それは他ならぬ、やってる選手たち自身が、照れくささを感じていたからだ。
 人前で、踊るなんてことは、常識的には考えられなかった時代だ。
 ダンスなんか、女の子のやることだった時代だ。
 
 でも選手たちは、競技で、それをやんなきゃいけないから、やっちゃいるけど、ひと昔前の体育会系の選手たちには、エレガントさとか、観客にアッピールする表情とかは、かなりの苦手種目に見えたものだ。

 それがそれが、
 大輔選手の、なんと伸びやかなこと。
 手足の長い、ブロンドの選手たちに混じって、あのチビッコ兄ちゃんが、臆することなく、俺だって、イケテるもん、負けないもんオーラを、遠慮なく出しまくり、
 ナルシズムとヒロイズムに、疑いなく酔いしれつつ、恍惚の表情を客席に投げかける。

 その顔は、体育の選手じゃなく、ダンサーであり、エンターテナーである。

 踊ることに疑いを持たぬ、人種の顔だ。

 折しも、今、私は、歌と踊りの芝居を創っている。
 で、未だに何か気恥ずかしい、日本人のミュージカルをいかにして、しっくりと舞台にのせるかを、必死に追求し

 ニッカポッカで踊るとか、ツルハシとスコップ担いで歌うとか、趣向を凝らしているのである。
 それはそれで、傑作だと自負しているし、今回もまたテッテ的にドカタワールドを構築しているが

 しかし
 そんな一方で、こういう世代が、世界で暴れ始めている現状を見ると

 いよいよ、真っ向からミュージカルの作品作りに取り組んで良い時代が、きているのかも知れぬと、しみじみ思った。

 もう突然歌うとか、なぜ、踊る、とか。
 ミュージカルに対して、そういうツッコミもいらない時代になって来る予感がする。
 だって、普段から、自然に歌い踊っているのだから。
 ぜんぜん突然じゃないんだ、今やきっと。

 もちろん、その分技量を高めて行かなきゃ話しにならぬが。

 折しも今夜は、ラッキィ池田さんが、FMヨコハマ トレセンの 犬&ガン のコーナーにゲスト出演して下さり、
 二人とDJ光邦さんに、ダンス指導をして下さった。

 ラジオでダンスって。
 前代未聞のばかばかしさであった。

 にしても
 思えば、ダンスを、この日本の日常の中に、植え付けていった功労者のお一人が、このラッキィさんであった。

 踊る日本人の元祖だね。
 ラッキィさんのダンスは、まったく気恥ずかしくない。
 
 大輔選手のソレのように、とってつけた感のない、ぴったりと身体に添った、ダンスである。

 大輔を思いつつ、
 ラッキィさんのスゴサも、今改めて思い知る。
 
 
 
 

 


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