たざわ湖芸術村 便り
4月14日、朝風呂の窓から、白い雪が舞っているのが見えた。
まだ春は遠い、角館。
昨日は、昼過ぎから出掛けた。稽古が休みであった。
最初に生活物資を調達しに行ったジャスコに。
ふと見れば、向かいにパチンコ店。思わず入る。
ここは一円パチンコが主流。通常は玉一個四円のところ、一円で買える。
ただし、出てもその価値は四分の一。勝負がしたいワケではないので、遊びでよい。
でも久しぶりに、そんなことしたものだからつい熱くなって、一万円も使ってしまう。通常の四円パチンコなら、それは四万円の計算。
でも、ねばりきって、CR北斗の拳 でサウザーを倒し、連チャンを引く。
6時頃に入って、9時半すぎまで。
一万発出た。大爆発はしなかったけど、元はとったべと思われた。
これも都心で換金すれば、四万ぐらいになる。
で、換金したら、六千二百円。
なんというレートの低さ。どんだけ所場代とってんだ。
まあ、店にお客が10人ちょっとしかいなかったし、しかも一円パチンコが主流なので、こうでもしなきゃやっていけないんだろうが。
それから慌てて、ジャスコに行く。10時閉店なのである。
といっても、何が欲しいわけでもない。
ただ、芸術村以外の場所に、しばし身を置きたかっただけ。
もっとも、せこいパチンコに時間を取られて、ジャスコも滑り込みになってしまったが。
見れば、閉店間際で、お寿司セット特上が二百円で投げ売りになっている。
ご飯も食べずにラオウと闘っていたので、それを買って帰って部屋で喰うことにする。
この周りには、何の店もナシ。途中唯一あるのがガストである。
でもジャスコから、タクシーでガストに行って、そこでまたタクシー呼んで、ガストから芸術村というのも、どーよと思われ。
蛍の光 が流れ出した店内から、外に出る。広大な駐車場にただ一人。
オレが 北斗やってうちに、本当に核戦争でも起きて、人類は死滅したんじゃないかというほど
物だけ溢れて人のいない午後10時。のジャスコ前。
タクシー会社に電話して迎えに来て貰う。芸術村までは、十五分ほど。
しかし着いてみたら、メーターは四千円!!!!
どんだけ遠いんだ、ジャスコ。
そして、
オレは何をやっているのだ。
大いなる徒労感のなか、部屋に戻って、二百円寿司を食おうとしたら、
醤油が入ってなかった。
そうか、総菜売り場の寿司は、醤油が別に置いてあったんだな。
気付いたときには、遅し。とはいえ、どうするワケにもいかず、醤油なしで、寿司を食う。
そんな、私にとって、たった一日だけの、角館の休日。
でもここに来て、初めて、そんな無駄なことの出来た日でもあった。
だから泣かない。
アトムは、順調に進行し、微調整を残すだけの状態だし。
そしてもう一つ。
「神崎与五郎・東下り」もとりあえず、昨日の朝に書き上げた。
今だから言うけど、実は、ここに来てから、毎朝夜明けと共に起き出して、稽古が始まるお昼まで、毎日、書いていたのだった。
ここに来る前に、半分以上は進めておく予定だったのが、結局、ほとんど進んでおらず、角館勝負になっていたのだった。
5日にあった、笑也さんと六角との取材も、そこに行って初めて、こんな話を今書いている、と説明したような、綱渡りである。
当初は、講談をほぼ、そのまま舞台に上げるような脚色チックな作業を想定したのだけど
せっかく、六角が久しぶりに出るし、笑也さんだって、小劇場初登場なのだからフツーではないことを、と考えた結果、
ほぼいつもの創作の仕事になってしまったのだった。
で、誰にも何も言わなかったけど、密かに非常事態であった。
が、ここを乗り切らなくてはと、自分に何度もいい聞かせ。前夜、どんなに宴会が盛り上がろうが、カラダが辛かろうが、6時までには目を覚まし、パソコンに向かい続けたのであった。
しかも、そんなことで「アトム」の進行に迷惑はかけられないから、誰にも言わずに、シコシコと。
しかしまあ、そんなことが出来たのも、
稽古が終わったら、あとはご飯食べて、温泉に浸かって、寝るしかない、この芸術村の暮らし有ればこそであった。
何しろ、一番近くのコンビニまでタクシーで二千円かかるのだから。
東京にいて、いろんな雑用やお誘いが襲いかかる中、そんなことしろって言われても、無理だったろう。
そんなワケで、「神崎与五郎・東下り」は、「アトム」の成長と共に、たざわこ芸術村で生まれた作品となりました。
井上ひさしさんが、語っていたことを思い出す。
「芝居を書くというのは、大変なのです。出来上がらないと、多くの人に迷惑がかかります。小説なら、せいぜい編集者が泣く程度ですが、芝居は俳優とかスタッフとか、チケット売っちゃってる場合は観客とか……だから劇作家は、もっと尊敬されるべきです」
井上先生と何かの会でお会いした時、大きなリュックに分厚い辞書だの資料だの、しかもそこに付箋がビッシリついたものをぎっしり入れて背負っておられた。
「これから、旅なのですが、重いです……」
先生の境地にはほど遠いけれど……
