うたかたのオペラ も
アトムと 神崎与五郎 と同時に、実は昨年、大阪・松竹座でやった「うたかたのオペラ」の再演も、進行しているのであった。
昨年の今頃、加藤和彦さんと創っていた作品である。
あまりにスケジュールが被りすぎていて、今回は、監修みたいなことになっている。
基本は、昨年やった舞台の再演なのだが、出演者が替わっているので、楽しみであり、心配でもある。
こちらは明後日、稽古場に行く予定。
東京でも、ぜひやりたいものだというのは、
加藤さんと、紫吹淳さんと、大阪公演の会食の席で語り合ったことだった。
加藤さんが、亡くなる二ヶ月前である。
その時は、加藤さんはご機嫌で、今後の野望や計画など、陽気に語っていたものだ。
だから、なんであの人が死に急がなきゃいけなかったのか、私には今も理解できずにいる。
うたかたのオペラ
も 更に進化、発展させていこうというプランも語り合っていたのだ。
そもそも、加藤さんの音楽が大好きで、たまたま機会を得て、こんな作品を創る幸運に恵まれた。
あの時も、けっこう無理なスケジュールで、無謀にも思えたけど
エイヤア、と取り組んだのだった。
私も加藤さんも、本当に出来るのかなあと、冷や汗流しつつ。
しかし今思えば、あの時、やっておいて良かった。
スーパー歌舞伎で、長時間、共に働いていたけど
サシで、作品の創作に取り組んだのは、これが初めてであった。
そしてこの時に、私は初めて、うたかたのオペラ の頃の加藤・安井コンビの音楽の大ファンであったことを告白したのだった。
同時に、加藤さんの芸術観とか、人生観みたいなものも、一つの作品を通して向き合うことで、肌身に染みて知ることが出来た。
ファンとしては、それが嬉しかった。
そこには、この世はなるようにしかならぬ、というような諦観のようなものがあって、
そこに加藤さんの、ユーモアと明るさがあるのだと思われた。
だから、その後の活動から見れば、偶然の産物のように見える
帰ってきたヨッパライ
こそは意外に、この人の本質であったのかも知れぬとも感じられた。
明るさとは、滅びの前の姿、だ。
と どっかの小説家が言ってた気がするけど、その裏にあった、深い屈託には私はまったく気づかなかった。何度も言うけど、そこが無念である。
しかし思えば、あのコミックソングも
モチーフは 死 だったのだな。
天国はそんなに甘いとこやおまへん、もっと真面目にやれ。
って。
加藤さんのことを思う時、私には、残された難しい宿題を前にして、呆然とする気分が襲ってくる。
私は自殺は 嫌いだし、たぶんやらない。
でも、その死は理解してみたい。