首斬りの話
山田朝右衛門は、死刑執行人である。
本来規則では、斬首は牢屋役人の仕事だったが、人の首をきるというのは大変難しいそうで
失敗とか、それ以前に、なんやかやと言い逃れて、役目を放棄する役人が、多くて
将軍の刀の切れ味を試す、人体切りのエキスパートだった山田家に、代役を頼むようになったらしい。
江戸時代の侍も、首斬りはイヤだったのだ。
で
それが舞台になっているので、さぞ気味悪い物であろうと、多くの人は思っていると思う。
実際、首斬りの場面を描くのが大変すぎて、子連れ狼より、評価の高い作品なのに、映像化出来なかったという 作品なのである。
血しぶきとともに首飛ばしてたら、R指定は必須だし、宣伝もしにくいしな。
しかし、これは小池先生とのトークでも申し上げたが
舞台では、残忍な場面も、やりようで楽しくも、美しくもなるのである。
だから
テレビでも映画でも出来ない、首斬りが舞台ではわりと堂々と出来る。
歌舞伎では、残虐きわまりない人殺しのシーンに、観客が拍手し、掛け声をかけるんですよ。
とは我が師、猿之助 の教えである。
観客の想像力で完成する、演劇ならではのチカラである。
猿之助一門の芝居に、弁慶モノがあって
そこでは、
弁慶が敵の首を手当たり次第に切り落として、大きな桶に投げ入れ、
六尺棒でかき回して、
イモのように洗うという演目まである。
最近、見ないけど、こないだ龍馬を殺した亀治郎さんの、お父さんの段四郎さんがやったのを以前、見た。
ばかばかしくも、痛快な一幕であった。
どうでも良いけど、さすがガメラ(亀)は、キングギドラ(龍)より強かったな。
ともあれ
首斬りである。
な、もんだから、実は首斬りみたいなものほど、演劇にふさわしいのである。
最初にこのマンガを読んだときに、わしは、これこそ、次の浄瑠璃だと思ったもんな。
いくら残虐にドキリとさせたくても、生の舞台ではどうしたって、斬ったフリしかやりようがないんだから。
戸籍のない人が大勢いる国なら、いざしらずな。
役者には、毎日来て、斬られて貰わなきゃイカンのだから。
なので
扉座の舞台でも、申し訳ありませんが
千秋楽以外の公演までは、あくまでも首はウソンコの斬ったフリです。
あしからず。
皆様のご来場をお待ちしています。