相撲なんだからさ

 相撲の八百長騒動である。

 極めて場当たり的な言い逃れを続けてきた、協会のあり方は非難されるべきであると思うが

 相撲は相撲であり続けて欲しい。
 八百長とか、チケット代の計算がよく分からない相撲茶屋とか、清濁併せのむ、得体の知れないしきたりを大事にして。

 もし相撲が完全な行政管轄に置かれて、ルールの整備されたスポーツとなったら、もうダメなんじゃないかと思う。
 
 というか、どんなものも、行政管理下に置かれたら、妙なことになるものでしょう。

 たとえば歌舞伎が、今も歌舞伎としていられるのは、俳優が皆、松竹という株式会社の契約社員であるからだ。
 あの人たちは、あくまでも興業会社の構成員なのである。

 そもそもいちいち理不尽だし、差別的なものなのだからね。
 歌舞伎なんて、やってる内容も、存在そのものも。
 性的サービスの女性との交際との様子などが、作品の大事なテーマだったりするわけだし。
 しかも男が女装して男と抱き合ったりして。
 加えて、血筋とか家とか、差別的なものをとても重視してな。

 そんなものに役人とか介入したら、どんなふうに骨抜きにされていくか分からんぞ。

 暴力表現や差別表現はいけませんとか、言い出したら、歌舞伎の演目なんかアッという間に消えてなくなってゆくだろう。
 
 相撲だって、変なものでしょ。
 ふんどし一丁ですぜ。
 健康度外視で、死ぬほど食って太ったりして。
 女は試合場に立ち入り禁止だし。

 で
 観客だって、うすうす知ってはいたわけだ。いろいろ怪しいことはあるぞ、と。

 八百長なんて寝耳に水でショックです、とか言う人は、相撲のことを真剣に考えたことがない人だぜ、たぶん。

 だって一座組んで巡業しているのだからな。
 対戦相手ではあっても、大事な仲間だよ。

 何も金絡みでなくても、仲の良いヤツが怪我とかでちょっと苦しんでる時には、弱点は攻めないであげようとか、
 
 それぐらいの心の働きがあっても、何の不思議もないだろう。そしてそれが、相撲の味ではないのか。
 だって強ければ良いのではないんだろう、横綱だって。

 勝てば良いんだろうと言っていた、異国人の横綱を、みんなで叱り続けたじゃないの。

 単なる勝敗とは別のドラマや精神性を強く求める、不思議な見せ物なのだよ、あれは。
 第一、マジの格闘技なら、勝負の前に優雅に踊ったりしないよ。
 土俵入りって何なんだ。
 ガチンコにあんなの要るかい。

 ちなみにタイ式ボクシングのムエタイも神に捧げて踊るけどな、あれは賭けの対象になってるから、さらに胡散臭い部分があるらしいじゃないか。
 
 あ、自演乙も踊るか。こないだも勝ったしな。
 もしかしたら踊りは、勝負に必要なのかも。

 ま、それはまた改めて考えるとして。
 相撲問題だ。
 
 それじゃ相撲は全部、八百長かというと、たぶんそんなこともなくて、
 ここはマジになって勝負付けるぞ、という局面も多々あったに違いない。

 観客だってバカじゃないから、そういう時には、ちゃんと察して、熱く熱狂して相撲を見ていたのである。
 あるいは、マジでやるべき時に、腑抜けたことをしていたら、正しくヤジとか飛ばしていたのである。

 そこに阿吽の呼吸みたいなのがあったと思うんだがねえ。
 お角力さんと、観客の間にも。

 いい加減な組織の体質を変えるのは、大いに結構だけど
 それで、お相撲独自の味わいとか、得体の知れなさを消したら、もったいないなあと思うのである。

 ともかく、役人が支配するようになったら絶対にイカン。
 
 大相撲国営化には強く反対する。
 協会はイチ興業会社になって出直すべきだ。

 そんな大相撲の総本山・国技館ある両国の隣り
 錦糸町の すみだパークスタジオで

 今、扉座サテライトは公演中です。

 こっちは全部筋書きのあるドラマです。

 ただ、それでも、真に熱い舞台では、筋書きや予定調和は、そっと消えて、ガチにぶつかりあう、一期一会のリアルが迸るものなのです。
 
 

 日曜日まで、やってます。

 

 
  


 


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