電気の恵み
いろんな催しが出来なくなっている。
轟組が出るはずだった渋谷のイベントは、今売り出しの新鋭・劇団鹿殺し のチョビと丸尾丸が、
昨今元気を失いつつある小劇場をみんなで盛り上げたいと、2年前から心血を注いで準備してきた大イベントである。
想定を超えて、パワフルなイベントになりそうだったのに、実に無念である。
彼らに何と声をかければ良いものか。
まあ、こんなことで挫ける彼らではなかろうと、信じている。きっと更にパワーアップして、次のステップに進んでくれるはずだ。
そして厚木方面も、どうやら延期や中止になりそうだ。
あちらは今、モロに計画停電にかかっているから、文化会館の使いようがないのである。一度電源が落ちたら、各所復旧に1時間以上かかるらしいし。
もちろん、それも仕方ない。
そして今後、原発の見直しなどで、更に電力不足の問題は深まるだろう。
にしても、これまた己の不明を恥じるが、
ワタシがしばし書評のページを担当していた、週刊金曜日では、常に、地震の国で、原発はぜったいに危ないと警鐘を鳴らしていた。
しつこいぐらいに、繰り返して。
あんまりしつこいから、過剰反応だろう、金曜日は大袈裟すぎる、なんて金曜日内のノンポリマイノリティーのワタシは正直ウザがっていた。
しかしことが起きてみたら、予言の通りだ。まだ瀬戸際でギリギリ封じ込めているようだが、こんなに制御不能の魔物であったとは。
まるで龍の飼育じゃないか。
もう少し真剣に謙虚に記事を読み、キヨシローと声を合わせて歌うべきであった。
少なくともワタシは、知らなかったと言い訳できない。ホントにしつこいぐらい、自分の原稿が載ってる隣のページで言ってからな。
分かっていて、放置した責任は自分にもある。かくなる上は、ここから動かず、放射線を浴びる覚悟を今決めた。
それにしても
電気のありがたさ。
角館のわらび地区 温泉館ゆぽぽで、ストーブの周りに音楽監督の甲斐正人さんと、アテルイの歌唱指導の岡崎亮子先生と、ゆぽぽの従業員の方々と、たまたま居合わせた者らで身を寄せ合い、ラジオに耳を傾けつつ、停電の2日目を過ごしていた11時頃、突然、パッと電気が点いた時の、その嬉しさといったらなかった。
停電の1日目は何となく興奮して過ごしたが、2日目の夜が更けてきて、寒さも忍び寄ってくると
この先、この国はどうなってしまうんだろう、なんて心まで暗く沈みかけていた。
それが電気が灯った途端、すべて吹き飛び、希望が湧いてきた気がした。
親父が戦時中の話をする時、奇遇にも同じ秋田で、少年時代に終戦を迎えた人なのであるが
終戦で電気が灯ったのが、何よりも嬉しかったといつも語っていた。
たった一晩だけど、その気持ちがよく分かった。
しかし今もまだ、恐ろしくて寒い、闇の夜を不安の中で過ごしている人たちが大勢いる。
実は停電の夜、もともと少ない上に、ついに明かりがひとつもなくなったわらび地区の夜空に広がった星空は、想像を絶するほど美しかったのであるが、
きっとそれに気づくこともなく、お互いに身を寄せ合って、凍えておられることだろう。
たまらなく哀しい。
テレビで繰り返し聞かされて、ついに覚えてしまった、
金子 みすゞ の詩も、そこには届いていないんだ。
