円形なのである
通し稽古もあと一回。
明後日には劇場に行く。
今回は、すみだパークのマル倉が借りられたので、ほぼ円形が確保できた。
んで、何回かあった通しの度に、見る位置を移動して、見た。
20年以上ぶりの円形劇場で、ここでしか出来ないカタチでやろうと思っている。
で
敢えて、正面を設定していない。
ダンスとかでは、便宜上の前後が必要なので一応設定はあるが、それもシーンごとに変更している。
円形の場合、俳優がイスに座ると、後ろの席のお客さんは、背中だけ眺め続けることになるのである。
それはそれで、珍しい眺めではあるのだが、それがずーっと続くと、やっぱり辛くなる。
で
それにも、新しい対策を講じている。
それはまあ、見て貰えば分かる。
苦肉の策のアイデアなんだが、これは意外に上手くいってると、思う。
ただ、それでも向こうを向けば、こっちは裏に、こっちを向けば向こうが裏になるのは、避けられぬことではある。
ところどころ、見たいところが見えない。
というか、姿は見えちゃいるけど、顔が見えない。
そういうことが起きる。
円形劇場の宿命である。
そして、それを面白さに変えるのが、やり甲斐でというものであろう。
んで
演出も、その日その日で、座り位置を変えて続けてきたのである。
どこから見ても、偏りなく、楽しめるように。
それで分かったんだけど
これは見る位置で、ずいぶん印象が変わるなあということ。
俳優が対面しているシーンでは、アングルが変わると、主観が変わるというか、クローズアップされるポイントが違ってくるのである。
映像を考えたら、分かりますよね。
アイラブユーを言う側の表情を見るのか、言われる側の表情を見るのか。
それでドラマの印象は変わるものですよね。
そもそも、そういう効果を計算して、巧みにつなぐのが映像の編集というものなんだし。
でも円形劇場の場合、見る場所によって、それがそれぞれに違ってて、しかも同時に進行していくという複雑な現象が起きるのである。
同じ劇だけど、見たモノは違うという、ことになる。
広い稽古場に来て、稽古しながら、二十数年前のことを思い出した。
あの時も、ほぼ円形でやったんだけど
あちこち動き回りながら、稽古を見ていた。
ただ、あの頃は、まだキャリア十年にも満たなくて、額縁舞台だって、ちゃんと使いこなせちゃいなかった。
それに、時代の空気がとにかく正面向いて、観客に見せるという空気だった。
だから、いかに顔を観客に向けるか、かなり腐心したのを覚えている。
しかしその後、演劇の潮流に変化が起きて、静かな演劇なんて言うリアルな手法が流行り、
お客さんにお尻向けて、セリフを言うとか、かつては芝居ではタブーみたいになってたことが、普通のこととして、まかり通るようになってきた。
うちは静かな演劇じゃないが、
それでもそういう流行の影響は受けて、正面きっての絶叫なんか、トンとやらなくなった。
で、敢えて背中見せたままで、大事なセリフ言ったりすることも、多くなっている。それが自然に見える場合は、特に。
そういうことを思えば、隔世の感がある。
そして、我々が円形舞台で、使える武器も引き出しもぐっと増えている。
それらを駆使して、今の我々だからこそ出来る、円形ならではの、作品にしたいと思っている。
手応えはしかとある。